ミチイロ

私の偏愛vol.6◆希望を持つ強さを教えてくれた、私の永遠のミューズ

約 8 分

寝ぼけながらスマホを見ていた朝、「『私の偏愛』について書きませんか」というメールをもらった。ちょうど洗濯機が終わりの合図を鳴らした時だったから、ジリジリとした暑さの中で、「偏愛」というテーマについて考えてみた。

そもそも「偏愛」とは、字の通り“ある人や物だけを偏って愛すること“らしい。
それはもう、私が尊敬してやまないあの人について書くしかないと思った。

あの人とは、25年という節目の年に表舞台から姿を消した安室奈美恵さんのこと。彼女はデビューした頃から今までずっと、私の中で唯一無二の存在だ。

そんな彼女に対する偏愛について書きたいと思う。

安室奈美恵との出会い

「安室奈美恵」と出会ったのは、小学2年生の頃だった。

父親が音楽関係の仕事をしていたり、両親にスナックや飲み屋さんによく連れて行かれたりしていたのもあって、身近に音楽がある幼少期だった。そして、よく見るテレビは歌番組とドラマ。今思えばマセた子どもだった。

そんな私の転機になったのが「THE夜もヒッパレ」という音楽番組。そこに準レギュラーとして出演していた安室ちゃんに一目惚れをした。歌も踊りも存在感も、周りの人と何かが違う。9歳ながらにその魅力を感じずにはいられなかった。

そんな圧倒的なパフォーマンスとかっこよさ、可愛さは言うまでもない。私は彼女の持つどこか寂しげな雰囲気に惹かれていた。そして、人間らしさとかっこよさは両立する、ということを彼女に出会って初めて知った。

安室奈美恵が教えてくれた「自分らしく」というメッセージ

ステージではキラキラと輝く彼女だけど、トークのときに我先にとしゃしゃり出ることはない。それはきっと、控えめな性格だけが理由だけじゃなくて、美学と自信、夢に対する強い思いがあったからだと思う。

当時から集団行動が苦手でキャピキャピできなかった私は、前に倣うことが求められる子供像にどうしても違和感があった。

でも、安室ちゃんの存在が「無理に人と同じじゃなくてもいいこと」や「人に魅せるべき(見せるべき)ところはここぞ、というときだけでいい」と教えてくれた。そして、世の中が彼女を「孤高の歌姫」と評価したとき、私のコンプレックスも静かに強さに変わった。

誰にも心を打ち明けられない幼少期に彼女と出会えたことで「自分はこのままでいい」「きっと間違ってない」と思えたのは、私の中でとても大きなことだった。彼女の強さは希望であり私にとっての道しるべ。周りの声に惑わされずに「自分らしく生きること」は、私の美学にもなり、私の人生を変えてくれた。

病気で体育ができなくなったときも、大好きなダンスをやめなくちゃいけなかったときも、クラスメイトが仲間はずれを繰り返していたときも、周りと比べられたときも、親が離婚したときも、夢を持つことすらできなかったときも。

誰に何て言われてもいい、自分のことは自分がわかっていればいい。
そう強く思えたことで、何があっても生きることを諦めないでいられた。

彼女が “安室奈美恵” という生き様で教えてくれた「自分らしく」というメッセージは、私だけじゃなくて多くの女性の背中を押して、寄り添ってくれる心強いものだったと思う。

奇跡のような沖縄での25周年ライブ

安室奈美恵の代名詞とも言えるコンサート。
初めてコンサートに行ったのは、「BEST FICTION TOUR 2008-2009」の大阪城ホールでの公演。
同じ空間に彼女がいると思うだけで、ホールの空気さえも神聖なもののように感じたのを覚えている。高校卒業後の上京直前だったこともあって、興奮と気合いの入り混じる時間だった。

そして、私がコンスタントにライブに行き始めたのは2013年の「FEEL tour 2013」から。
ファンならどのライブも欠かさずに行くものだと思われるかもしれないけれど、出会った頃が子どもだったから、会いに行くという感覚があまりなかった。CMで流れるたびにテレビにかぶりつき、CDやDVDを何度もリピートしていた。それだけで十分支えられていたから。

それに、当時は音楽活動とアルバイトに明け暮れる生活。夢を叶えることの方が先だと思っていたから、心が折れそうになるたびにライブDVDを流して自分を奮い立たせていた。

時が流れて、2017年9月16日。25周年を記念したライブ「namie amuro 25th ANNIVERSARY LIVE in OKINAWA」が沖縄・宜野湾海浜公園で開催された。2日間で5万人というプラチナチケットにもかかわらず、センターの前から13列目という奇跡のチケットを手に入れることができた。

このとき、私は上京して10年目の秋。フリーライターとしてお金を稼ぐという自由を身につけた私にとって、最高のタイミングだった。

沖縄のやさしい風と開放感と、少しの自信。ライブ中は、東京での10年間と憧れ続けた幼少期の記憶がフラッシュバックして涙がとまらなかった。そして、誰にも言えずに胸のずっと奥の方で煮詰まった思いは、NEVER ENDの曲とともに風に吹かれた。辛かったことは全部、ここに置いていける気がした。

本当に、これまで生きてきた中で一番幸せで、自由で、楽しい時間だった。

いつの日か i’ll be there
遠くても地図にない場所も行けるから i’ll be there

あの曲の意味が本当にわかった瞬間でもあった。

引退、という衝撃と決意

ライブが終わって数日後、飛び込んできた引退のニュース。沖縄ひとり旅を満喫して、成田に着いた直後の速報だった。普段電話をすることのない友達からのLINEに、ただごとじゃない様子を感じた。

引退の日はいつか来るとわかっていた。でも、すぐに受け入れられるはずもなく。失恋のようにぽっかりと空いた心は、ぼーっとしていても涙がこぼれた。

でも、数日が経った頃に思った。「安室ちゃんが教えてくれたのは、こんな風に泣き暮れることじゃない」と。私が今やるべきことは、自分の人生を後悔なく生き抜くこと。安室ちゃんがくれた最後の1年を、ファンとして全力で楽しむこと。

ラストライブのチケット情報はもちろん、リリースやタイアップのニュース、安室奈美恵と名のつくニュースやテレビ番組はすべてチェックした。

毎日リリースされる情報についていくのが精一杯で、これまでライブに行くことを諦めていた気持ちを取り返すように、安室ちゃんのために生きた1年だった。

幸運にも、ファイナルツアーは札幌と東京ドームのラスト公演が当選。あまりにも気持ちが張り詰めていたからか、ライブ後に人生で初めて39度の熱を出してしまい、余韻にひたるどころではなかった。

彼女の引退は私の中でそれほど大きな出来事だったことに気付いて自分でも驚いたけれど、少し笑った。一緒にいた友達にはとても心配をかけてしまったので、それだけが心残りだけれど。

沖縄で迎えた「安室奈美恵」最後の日

引退の日となった2018年9月15日、本当に本当のラストライブ。チケットを手に入れることはできなかったけれど、ライブの音漏れを聞くために沖縄に行った。歌声はほとんど聞こえなかったけれど、それでもよかった。

ライブが終わって音が消えたとき、もう涙は出なかった。

翌日の花火ショーは、この1年間を一喜一憂してきた友達と一緒に見る予定だったけれど、悲しみを共有するよりもこの瞬間をかみしめたくて、少し離れた場所から一人で見ることにした。

波の向こうにあがる花火を見ている間、とにかく感謝の気持ちでいっぱいだった。

彼女がラストライブに沖縄という場所を選んだこと、どんな人も楽しめる花火という選択をしたこと、すべてがどこまでも潔くて暖かかった。たくさんの人にこんなにも素晴らしい時間をくれた彼女が、どこかでずっと笑っていられますようにと願った。

あなたがいたから、今の幸せに出会えた

安室ちゃんが引退してから1年が経とうとしていた夏。私は付き合っていた彼からのプロポーズを受けて入籍した。沖縄での引退ライブに仕事の合間をぬってきてくれたり、一緒に109にグッズを買いにいったり、引退直前で気持ちが整理できずに泣き崩れていた私を支えてくれた人でもある。

一緒にDVDを見たり安室ちゃんの話をしたり、気づけば最高のアムラー仲間で、私以上に安室奈美恵を熱く語る瞬間があったりもする。あの1年を一緒に過ごせたからこそ、彼女の素晴らしさを共有できたし、私の想いも嫌という程伝わっただろう。安室ちゃんは引退したけれど、このタイミングで、また違う幸せと希望をくれる人に出会えたのは奇跡みたいなものだと思う。

そして、私自身は歌手になるという夢は叶えることができなかったけれど、アーティストの楽曲制作や女性向けメディアの制作などで、相変わらず自分の表現の形を模索している。

夢を追う彼女の背中を見てきたからこそ、夢を追うことの素晴らしさと、叶えることの難しさを知った。だからこそ、自分の想いに真摯に向き合って生きて来られた。それだけでも、私の人生は豊かで、素晴らしいものになったといえる。安室ちゃんがいたから、今の幸せな毎日があると心から思う。

拝啓 安室奈美恵さま これでもまだ 悪くはないよね。

 

 

執筆・撮影:月永結花(@yuika_0073
編集:卯岡若菜(@yotsubakuma

▼月永結花さんのミチイロインタビューはこちら

年を重ねるごとに、どんどん楽になってゆく。フリーライター×ソングライター・月永結花さん

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