ミチイロを作りはじめたとき、心にずっとあった絵本があります。
サイトの色選びや「About“Michiiro”」のアイキャッチ写真で、その絵本の存在が感じられます。
その絵本の名前は、“ルピナスさん”。あるひとりの女性の人生を描いた物語です。
「世の中を、もっとうつくしくするために」──“ルピナスさん”あらすじ
ルピナスさんの本名は、アリス。
アメリカから海辺の町に渡ってきたおじいさんと一緒に暮らしていました。
夜になると、さまざまな国のお話をおじいさんから聞いていたアリスは、話を聞き終わるたびにこう言っていました。
「大きくなったら、わたしもとおいくににいく。そして、おばあさんになったら、海のそばの町にすむことにする」
そんなアリスに、おじいさんは「それも結構だがね」と認めたあと、「もうひとつ、しなくてはならないことがあるぞ」と返します。
それは、「世の中を、もっとうつくしくするために、なにかしてもらいたい」でした。
大人になったアリスは、この「世の中を、もっとうつくしくするために」を胸の真ん中に置いて、まずは海から遠く離れた町の図書館ではたらきはじめます。
さまざまな「とおいくに」を経験した彼女は、果たして「世の中を、もっとうつくしくするためのなにか」をすることができたのでしょうか。
生まれた意味、生きていく意味
「なんのために生まれて なにをして生きるのか」
アンパンマンのマーチの歌詞の一部です。
希死念慮に苛まれてきたわたしは、この「何のため」をずっと考えつづける10代、20代前半を生きてきました。
今もなお、確固たる「何のため」があるわけではありません。何なら、希死念慮も完全消滅したわけではありません。
ただ、大人になったことで10代だったからこその生きづらさが和らいだだけ。大人になったことで、ようやく自分との折り合いのつけ方が少し上達しただけ。
そんなわたしが“ルピナスさん”と出合ったのは、子どもを産んでからのことです。
「世の中を、もっとうつくしくするために、なにかしてもらいたい」。
ひとり一人が、この想いをどこかに抱いて生きていけたなら、世界はもっと良いものになるでしょう。
そんなに大それたことではなくとも、まず「わたし」ができることをすることが、最後に「生きてきた意味」になってゆくのかもしれません。
意味があるから生まれてきたのではなく、生きていくことで意味は見いだせる。
そんなことを思いながら、今のわたしは生きています。
歩んでいくなかで、いつか「なにか」に巡り合えたら
ライターという仕事上、さまざまな仕事をしている人、会社の代表の方に話を聞く機会に恵まれています。
「一定の年齢を過ぎた頃から、次の世代や社会に対して何ができるだろうと考えるようになりました」
そう、語ってくれた方がいました。その「一定の年齢」が何歳なのかは人によって答えが異なるのでしょうが、多かれ少なかれ、自分から家庭や会社、次に社会、そして世界と視野が広がっていくことは珍しくないように思います。
わたしは、世の中をもっとうつくしくするために、いったい何ができるでしょう。
生きていくなかで、いつか見つけられたらいい。わたしも、そしてこれを読んでくれた、どこかにいるあなたも。