ミチイロ

年を重ねるごとに、どんどん楽になってゆく。フリーライター×ソングライター・月永結花さん

約 22 分

「好きなことを好きなように選べるって、幸せだなと思っていた」。インタビュー中、結花さんが語ってくれた言葉です。

選べないことはたくさんある。特に、子ども時代はそれが顕著です。しかし、永遠に何も選べないわけではありません。

選べない幼少期を経て成長し、自ら選べる嬉しさを知った。大人になるにつれ「どんどん楽になっている」と語る、結花さんのミチイロです。

月永結花さんのミチイロ

月永結花さん
撮影はインタビュー後にご一緒したランチの前に

月永結花さんは、筆者と同い年。10代を大阪で過ごしたのも同じで、フリーライターという仕事も同じです。彼女の個人ブログに書かれている文章に以前から惹かれていたこともあり、ミチイロのインタビューをお願いしました。

現在、神奈川県在住の結花さん。ご自宅でじっくりお話をお聞きしました。

「親族で1番ふつうだった」と言われた幼少期

──事前にいただいたプロフィールに、幼稚園時代に登園拒否をしたとありました。

月永結花さん(以下、結花):わたしは憶えていないんですけど、幼馴染と昔話をしていたときに、「その頃、結ちゃん幼稚園来てた?」って言われて。親に聞いてみたら「先生にいじめられていて、登園拒否してた」って言われたんです(笑)本当かわからないですけどね。

──登園拒否中、ご両親がどうにか通わせようとしたということはなかったのでしょうか。

結花:なかったんだと思います。それに限らず、あまり何かを強制させることはないんですよね。

──子どもの意思を尊重するタイプだったということでしょうか。

結花:どうでしょう。意思を尊重するというよりは、無関心に近いというか。だから、自分で考えて行動することが幼い頃から普通でした。

──ご両親のお仕事やきょうだい関係はいかがですか?

結花:母は長らく専業主婦で、わたしが中学に入る頃くらいからパートをしていました。父は飲食店を経営していたんですけど、わたしが7歳のときに病気で右半身不随になって。わたしにとっては、父親というよりもだめな大人。車いすで飲みに出かけて酒に酔ってケンカして、お金を取られて帰って来たこともありました。もともと不仲だったので、高校入学後に離婚しました。きょうだいは、7歳下に妹がひとりいます。

橋本結花さん

──結花さんはご両親のうち、どちら似なのでしょう。

結花:顔は母似といわれますが、性格はどちらにも似ていないんですよ。というよりも、家系的に見てもわたしひとりがちょっと違うかも。

母は5人きょうだいの3番目。昔はきょうだいがよく集まっていたので、いとこと一緒に育ったようなものでした。1番上の伯母がスナックを経営していたこともあって、幼い頃から連れていかれるのは居酒屋・スナック・カラオケがある飲み屋さん。だから、中学に入るまでファミレスに行ったことがなかったんですよ(笑)

あと、母のきょうだいにはヒエラルキーがあって、お金を持っている順に発言力があるんです。伯母は高級車に乗っていて若い彼氏がいて……唯一、末っ子のおじさんだけは信頼できる人だと子どもながらに思っていました。

小学校に上がってもいとこの家に泊まりに行っていて、しょっちゅう集まっていました。でも、みんなの家庭の事情は知らなくて、時々見知らぬ男性がいることもありましたね。今思えば、誰ひとりとして“ふつう”の家庭じゃなかったのかも。

──そうした家庭環境のなか、親の影響は特に受けなかったということでしょうか。

結花:飲み屋さんとかに抵抗がないのは、当時の影響だと思います。母と妹は性格が似ていて、わたしが真逆になったのは完全に反面教師ですね。表面的には周りに合わせていたけれど、いつも自分だけ違うような気がしていて。当時のわたしは自分がおかしいのかと思っていました。いとこ親子にはいつも良い意味じゃなく「1番ふつう」と言われていました。

──妹さんとは年が少し離れていますが、仲はどうだったのでしょうか。

結花:昔は、とても世話を焼いていました。自分が親らしいことをしてもらえなかったと感じていたので、妹にはわたしがしてほしかったことをしてあげたいと思っていたんです。でも、もしかしたらそれは間違いだったのかもしれないと思っています。

橋本結花さん

──どうして間違いだと感じたのでしょうか。

結花:わたしは小さい頃から自分で自分のことをやらざるを得なかったから、妹には精神的にも物理的にも助けてもらえるのが当たり前の環境を作ってあげたかったんです。でもその結果、わがままが過ぎると感じることが多くなってしまいました。そして、トラブルが起きるたびに「なんでわたしがこんな思いしなくちゃいけないんだろう」と思ってしまうことが増えて。結局、自分のためにやっていたんだと気づいてやめました。

今でも、母や義理の父は妹を叱ろうとしないんです。いつもトラブルが起きても「結花から言っておいて」とわたしが母のような役目に。我が子を叱らない母に対しても、「何で?」と気持ちが限界に達してしまったので、今はちょうどいい距離感を保つことを意識して過ごしています。

親も妹も大切な家族であることには変わりはないけれど、どちらもわたしとは別の人間で、どうしてもわかり合えない部分もあるんだなと割り切ることにしました。

「群れなくてもかっこいいんじゃん」。自分を肯定してくれた“安室ちゃん”との出会い

──幼稚園、小学校と成長するなかで、他の家庭との違いに気づきはじめますよね。結花さんはいかがでしたか?

結花:違いには気づいていました。友達の家庭はわたしの住む世界とは別世界だと思っていましたね。友達を見ていると、親から当たり前に愛情を受けて育っているのがわかるんです。子どもらしく子ども時代を過ごしている友達を、斜に構えて「いいよね」と見ていました。自分の心を守るためにも、斜めから見るしかなかったんですよね。

──ご家庭の話を友達にすることはありませんでしたか?

結花:ほとんどなかったですね。今思えば、小学生には理解できない話だったとも思います。小3くらいのとき、実際に「結花の話は難しいからわからない」と言われたこともありますし……。

──親が当たり前のように子どもの世話をする家庭で育っている子には、結花さんが置かれていた環境や抱えていた感情は想像できないものだったのでしょうね。

結花:そうかもしれないですね。でも、だからこそ、書くこととかひとりで考えるとか、いまの自分に通じる表現方法に出会えたんだと思います。

小3の頃に毎日日記を書く宿題があったことをきっかけに、小5、6の頃にはパソコンでブログを書きはじめました。ちょうど親がパソコンを買ったのがそれくらいの時期で。

──小学校にパソコンが導入されたのが1998~1999年くらいだったと記憶しています。

結花:そうですよね。掲示板が流行っていて、匿名で書き込んだり、自作の詩を載せたりしていました。子ども時代から触れているからなのか、ネットに感情を書くのに抵抗感がないんですよ。今はSNSが普及してちょっと感覚や付き合い方が変わっちゃいましたけど。

──ネットの方が素直に感情を吐露できる、わたしも同じです。

結花:当時は、“見てくれている人がいる”ことで安心感を得ていたんだと思うんです。リアルの友達には話せないことも、ネットで出会った子だからこそ話せた。顔は見えなくても、自分のことを理解してくれる人が世の中にいることを知って、希望を持てた気がしました。実際にネットで知り合った友人に手紙を書いたり、実際に会ったりしたこともありますよ。北海道に住んでいる同い年の子だったんですけど、中2からやりとりをし始めて、高1のときに函館で初対面しました。

──昔は今よりもネットとリアルとが別世界だったような感覚があるのですが、当時から実際に会ったことがあったのですね。

結花:当時から安室奈美恵さんが好きだったんですけど、安室ちゃんのコミュニティで出会って仲良くなったんです。同い年だったこともあって、すごく話が合ったんですよ。なので、ネットを通じて人と出会うことにあまり抵抗感がないのも、その経験がはじまりだと思います。なんなら学校の方が怖かった(笑)

橋本結花さん

──安室奈美恵さんのどこに惹かれたのでしょうか。

結花:安室ちゃんって、ちょっと寂しそうな雰囲気がありませんか? 陰があるというか。そこに親近感を覚えて、自分の気持ちとリンクしたんですよね。とても華やかなのに、孤高な感じがとてもかっこよく見えました。学校生活って、みんなで群れて元気に過ごしているのが正解っていう雰囲気があるじゃないですか。

──大人がイメージする“子どもらしい子ども”みたいな。

結花:そうです。わたしはそういうタイプじゃなかったから、みんなと仲良く明るくしなきゃっていつも思ってた。でも、どうしてもできなくて。それで、安室ちゃんに出会ったことで群れないかっこよさを知ったんです。負けず嫌いなところとかも自分の性格とリンクして、そのときに「わたしはわたしのままでいいんだ」と自分を肯定できるようになりました。

──結花さんが歌手になりたいと思い始めたのも、安室さんを知った頃なんでしょうか。

結花:もっと昔から、ダンスなど前に出て自分を表現することには興味を持っていましたね。いとこがダンスを習っていて、それがとても羨ましくて。でも、わたしの母は子どもにそういったことをやらせるタイプではなくて。

でも、小4の頃に先輩のお母さんが公民館でひらいたダンス教室に通えることになったんです。それなのに、3カ月くらいでやめざるを得なくなってしまいました。

──なぜですか。

結花:生まれつき心臓が悪くて。成長期だったこともあって、ドクターストップをかけられてしまったんです。それなのに、母はいとこのダンスの発表会を「見に行きなさい」と言うんです。残酷ですよね。当時もそういった発言に不信感を持っていたんですが、あとから伯母との仲をこじらせたくないのが理由だったんだと気づきました。

──ドクターストップで学校生活にも変化はあったのでしょうか。

結花:体育もダンスも、走るのもダメ。たとえば授業に遅れそうなとき、廊下を走るのもダメ。いつも体育は見学だったので、クラスメイトには「結花だけ何で?」と思われていた気がします。

これまで、身体や家族による事情で、何かがうまくいきはじめるとダメになってしまう経験が多くて。大人になった今では、まわりもいろんな経験をしてきているので、わたしの気持ちに寄り添ってくれる人もいますけど、小3、4でわかってくれる子はなかなかいなかったですね。

ボイトレに出会った中学時代

橋本結花さん

──中学時代、部活動には入っていましたか。

結花:友達に誘われて、4人で一緒に美術部に入りました。当時好きだった子がサッカー部で、サッカー部の活動が見られるところに部室があったというのも入部の理由でした(笑)

──部室の窓から好きな子を見るの、青春ですね。

結花:学年で1番モテる子で、さらに呼び出された廊下で告白されて付き合ったんですよ。

──少女マンガの展開じゃないですか……!

結花:だけど、一緒に何度か遊んだんですが、恥ずかしすぎてまともに会話できなくて。そうこうしていたら、アクティブな女子に奪われてしまいました……(笑)

──勉強や将来の夢など、どのような中学生でしたか。

結花:勉強は、国語・英語・音楽が得意でしたね。英語は幼児の英語教室に少し通っていたのと、歌詞に出てくる英語を調べたり、歌詞に書いてみたりするのが好きだったので、単語を憶えたり辞書を読んだりするのが苦にならないんです。

国語は、考えをまとめることや人の気持ちを考えるのが好きだったので、好きでしたね。わかりやすく文系だったので、数学や理科、あと社会もダメでした。子供ながらに自分には必要のない知識なような気がしていたんですよね。苦手な言い訳かもしれないですけど(笑)あと、ボイトレを初めて受けたのが中学生の頃です。

──中学生がボイストレーニングに出合うきっかけって何なのでしょうか。

結花:カラオケに一緒に行った同級生が、ショックを受けるくらい歌がうまかったんです。その子がボイトレに行っていると聞いたので、親に「ボイトレを受けたい」と言ったんですが、例のごとく無理だと言われてしまって。1年以上説得し続けて、中2から通えるようになりました。

──説得できたんですね……!

結花:でも、結局月謝が高くて、半年くらいでやめることになりました。「これは自分でお金を稼げる高校生になるまで、わたしは何もできないな」と思って、中学時代は我慢しましたね。

──月謝、そんなに高いんですか。

結花:中学時代のスクールは月1万くらい。高校生のときのスクールは2万くらいで月2回程度のレッスンが受けられました。決して安くはないですよね。

──高校生が自力で支払う金額としても、なかなか高額ですね。高校はどのように決めたのでしょうか。

結花:上位高校で、かつ私服で通える高校が志望校でした。それなのに、塾判定で合格ラインだったことに安心しちゃって、最終的にランクを落とさないといけなってしまって。結局、制服の高校に行かざるを得なくなっちゃいました。それでもうどうでもよくなっちゃって、受験することになった高校のことも全然調べなかったんです。そのせいで、受験日当日にものすごい坂道と100段の階段がある高校だと知って、送迎の車の中で「聞いてないよ……!」と嘆く羽目に。同じ高校を受ける子たちには笑われましたね(笑)

初めて心を許せて話せる相手に出会えた高校時代

──では、高校時代はアルバイトやボイトレを?

結花:はい。とにかくバイトに明け暮れていました(笑)平日は16~22時、土日は9~22時。週5~6日働いて、月10万円くらい稼いでいる時期もありました。それまで好きなものを買えずにいたのと、お金を持っていることが発言権を得る条件だという親族のなかで育ったこともあって、とにかく稼ぎたくて。バイト代は、ボイトレの月謝と洋服に使っていました。

──服、お好きなんですね。

結花:昔から好きだったんですが、自分で買えるようになって加速しましたね。
休みの日には買いものに行って、ショップ袋を両手いっぱい提げて帰ってきていました。

──部活動には入らなかったんですか?

結花:軽音部には見学に行ったんですが、大人数でわいわいしている雰囲気が合わなくて、入りませんでした。

──高校ではどのように過ごしていましたか?

結花:入学前に先輩が髪を染めている様子を見て、「いいんだ」と思って入学式に染めて行ったら、わたしの代から校則が厳しくなったらしくて目を付けられてしまい、色が抜けてくるたびに先生に指摘されるようになっちゃったんです。それが嫌で、反抗心から黒光りするくらい黒く染め直しました。これで文句はないだろう、みたいな(笑)

──無言の反抗(笑)

結花:今もなんですけど、無駄なことをしたくない、要領よく生きたいという思いが強いんです。負けず嫌いなので、同じことで繰り返し怒られるのが本当に嫌で。

あと、高校時代の大きな出来事といえば恋愛ですね。高1のときに席が後ろだった人を好きになったんですけど、友達に抜け駆けされちゃって。でも、どうしても諦めきれなくて半年以上かけてアプローチし続けて、付き合えることになったんです。なぜか、どうしても彼を逃しちゃいけない、諦めちゃいけないと思って好意を伝え続けました。友達はなくしましたけど(笑)

──中学時代はあんなに消極的だったのに。

結花:もう後悔したくなかったので、がんばりました(笑)彼は、一緒にいると安心できて、いつでも味方でいてくれる心の底から必要な人でした。本当にやさしい人で、これまで言えなかった家庭の話も初めて話せたんです。いろんなことが重なって感情表現ができなくなってたわたしに笑顔を戻してくれたのが彼でした。

中学時代、クラスメイトに「何で笑わないの?」と聞かれたこともあったくらい、当時は感情表現が乏しかったんです。そう言われたときも、「何であんたに笑わなきゃいけないの?」と思っていたくらいだったんです。いやなやつですよね(笑)

橋本結花さん
「ぶっきらぼうだった」のが信じられないくらい、今の結花さんは柔らかく笑う

──クールな感じだったのでしょうか。

結花:挨拶もできなかったんですよね。「おはよー!」って言われて、「おはよー!」って笑顔で返せない。ぶっきらぼうで、今とは別人でした。
周りから「おとなしいよね」とか「クールだよね」と言われることで、余計におとなしく、クールなキャラクターにならなければと思っていたところもあります。元からひとりで過ごしたり、本を読んで過ごしたりするのも好きではあったんですが、周りのイメージに寄せていってしまうところもあったんじゃないかな。

「ゼロにしたくて東京に来た」。“らしさ”から解き放たれた20代

──高校卒業後の進路はどうされたのでしょうか。

結花:高1の頃、母と妹と3人で暮らしはじめて。その頃から母が再婚することが決まっていて、高校を卒業する頃に関東に引っ越す話が浮上していたんですね。それで、わたしは自由に選んでいいという話になっていました。

わたしは就職しようと思っていました。彼の親ともすでに顔を合わせていたので、同棲する話も浮上していたんです。そんななか、軽音部の友達の付き添いで、音楽の専門学校の見学に行きました。そこでシンガーソングライターコースの体験レッスンを受けたら、音楽をやりたい気持ちが出てきちゃったんです。

──おお。転機ですね。

結花:そうなんです。そのレッスンで京都から来ている同い年の子と話す機会があって、「親が東京に引っ越すんだ」と話したら、「東京行けばいいのに」と言われたんです。それまで「東京に行く」という選択肢が自分のなかになかったので、目から鱗のようでした。彼と一緒にいたい気持ちが強かったから思い浮かばなかったのかもしれません。

でも、彼に「行っておいで」と背を押してもらえたこともあり、上京を決めました。やりたいことを応援してくれる人だったからこそ、悩まずに決められたんですよね。上京後、23~24歳頃までは実家で暮らし、その後ひとり暮らしをはじめました。

──東京、出てきた感想はいかがでしょう。

結花:楽しいですね……! 学生時代のように周りからの先入観がないので、ゼロから自分で人間関係を作っていけるのが本当に嬉しかった。やっと本当の自分で過ごせる、というか。今までは彼といるとき以外、素の自分でいられなかったので。なりたい姿になれることが、本当にただただ楽しくてたまりませんでした。

ゼロにしたくて東京行きを決めたところもあったんです。「結花ってこうだよね」「結花はこういうことは言わないよね」みたいな決めつけや地元特有のヒエラルキーが嫌で。当時、いわゆるスクールカーストのどこにも属している感覚がなくて、階層を問わず好きな相手とは一緒にいるタイプだったからか、いわゆる上位層の人に「調子に乗ってる」と言われてしまうことがあったんです。そういう感覚も面倒だったので、ゼロにしたかった。

──遠距離恋愛になった彼とは、その後どうなったのでしょうか。

結花:「いつかまた一緒にいられるようにお互いがんばろう」と上京したんですが、結局はすぐに別れることになりました。その後、数年後に結婚して子どもが生まれたことをmixiのアイコン写真から知ったんですけど、1週間くらい家から出られず、ずっと泣いていました。自分から地元を離れたのに勝手ではあるんですが、別れたあとも「いつかきっと」と思っていたんですよね。初めて素直な自分で対等に話せた、精神的な支えだったので。

でも、東京に来なければよかったと思ったことは一度もありません。自分で決められない10代を過ごしてきたから、なおさら自分で選んで決めたいという思いが強くて、それが東京に出てくることで実現した。自分で責任を持てば、何でも選べる。最高ですよね。年を重ねながら、どんどん楽になっています。

橋本結花さん

──上京後は、どのような選択をしてきたのでしょうか。

結花:とにかくアルバイトをたくさんしながら、シンガーソングライターとしてライブ活動を行っていました。通っていたボイトレが開催するライブイベントに出たことをきっかけに、数カ月に1回のライブからスタートして、出たいライブハウスに音源を送って活動範囲を広げていました。

続けているうちに、自分がバーンと表舞台に出ていけるシンデレラタイプではないんだなということもわかってきて。だからこそコツコツ続けていたんですが、女性シンガーソングライター界隈のお客さんの層はおじさんメインで、若い人や女の子は1割いればいいほうなんです。これじゃあどれだけやっても、わたしが歌を届けたいところに届けられないと気づいて。だから、5年前に一旦全部やめようと思って、ライブ活動をやめました。

──思い切った決断のように思います。

結花:もちろん応援してもらえることは嬉しいことなんですが、アイドルになりたいわけじゃなかったので。動く方法を変えなくちゃいけないと思って、根本的に楽曲作りを勉強し直そうと決めたんです。それで、パソコンを使って作曲することを勉強して、今はアーティストの楽曲のコンペなどに参加しています。

勉強したり日々を過ごしたりする中で、わたしのやりたいことは“伝えること”だから、自分が歌うことだけにこだわらなくてもいいし、表現方法だって音楽だけに縛らなくてもいいと思えるようになったんです。だから、今は写真や文章など、さまざまな表現を組み合わせた場所を作りたいなと思っています。どんな手段を使っていても伝えたいことは同じなので、メディアをリリースして、そこに音楽も連携できたらいいなと思って。

──“書く”でいえば、結花さんはライターとしての仕事もされていますよね。何がきっかけだったのでしょうか。

結花:アルバイトや派遣で事務をしていたんですが、経験を重ねるなかで、組織で働くことが不向きだと感じるようになったんです。みんなが仕事をしやすいようにと工夫をしたり意見を出したりすると、初めこそ「やる気があっていいね」と評価してもらえても、だんだん疎まれて潰されてしまう。困っている人が目の前にいるのに、黙って前に倣い続けるのはわたしには無理だな、と。

そこで、ひとりで働ける仕事や家で働けること、と考えていたときにクラウドソーシングに出合ったんです。クラウドサービスの職業一覧で目に留まったのが“ライター”でした。“文章を書くことならできる”と思って。今思えば無知だからこそ挑戦できたんですが、ライターのトライアル執筆を試してみたら手ごたえがあったので、事務職の傍らやり始めて、翌月にはライター1本に切り替えました。

──すごい。スピード感がありますね

結花:いいクライアントさんに出会えたので、運がよかったですね。あと、昔からパソコンに触れていたので打つのが早いのが功を奏しました。ただ、やっていくうちにクラウドソーシングでの仕事は、単価も安いしずっと続けられるものではないなと感じて。

それで情報収集のためにTwitterをはじめました。そこで出会った編集者の方のプロフィールを見たときに、なんとなく「この人と一緒に仕事をするんだろうな」という勘が働いて、ライター交流会というイベントに参加したんです。幸運なことに、それがきっかけでいろんな縁が繋がって、今もライターのお仕事ができています。

30歳を境に、「誰かと何かを作っていくのもいいかもしれない」と思うようになった

──この取材の直前に、SNSでの投稿でご結婚されたことを知りました。おめでとうございます。

結花:ありがとうございます。

──ご結婚のきっかけ、お聞きしてもよろしいですか?

結花:出会ったのは婚活アプリです。もともと結婚願望がめちゃくちゃ強いとかではなくて。学生時代の彼とは結婚したい思いがありましたが、その後は長く続かない相手とばかり付き合っていたんです。でも20代後半になって、彼を超える人を探そうとしていないことや、誰かに超えてほしくないと自分が思っていることに気づきました。そうした思いがあったから、新しい出会いがあってもちゃんと向き合うことができなかったんだなって。

それに気づいてから、「じゃあどういう人ならわたしは安心できるんだろう」と考えるようになりました。

──出た答えは何だったのでしょうか。

結花:人としてのあたたかさとか、一緒にいる心地よさですね。気持ちの支えになり得る人、嘘じゃない気持ちを伝え合える人。職業とかステータスとかあんまり興味ないんだな、優しい人が好きなんだな、と気づいてから恋愛観がガラッと変わりました。

数年間の考える期間を経て、「結婚もいいのかもしれない」と思うようになったのは30歳を過ぎてからですね。「30歳まではひとりでがんばりたい、やりきったと思えるところまでやりたいことを続けたい」と思っていたので、30歳を迎えて一区切りついたんです。

それまでは必死になってがむしゃらにがんばっていたんですが、霧が晴れたように一気に気持ちが楽になりました。そこで「これからは誰と何かを作っていくのもいいな、結婚もそのうちのひとつの形だな」と思うようになったんです。

──そこで、パートナーと出会ったんですね。どのような方ですか?

結花:わたしも自分は気を遣うタイプだと思ってたんですが、比べ物にならないくらい自然に気を遣う人ですね。とてもやさしいんです。初デートで1件目のお店を予約してくれていたんですが、同時に行くかどうかもわからない2件目の店を混雑回避のために予約しておいてくれたんですよ。結構、衝撃でした(笑)

あとは、単純に食べ物やお酒の趣味も合って、一緒にいて落ち着いて話せるし、とても楽なんです。基本的にわたしの意思を尊重してくれるので、家族ってこういうものなんだなっていうのを教えてもらっています。

──今お話しされている結花さんの表情からも、いいご縁があったんだなあと思います。これから、どのように活動を広げていきたいと思っていますか?

結花:書く仕事と音楽の仕事、2軸で稼げるようになりたいです。今はコラムや音楽を使った自分のメディアを立ち上げようと、準備を進めています。とにかく表現をすることが好きなのでコラムとか楽曲提供とか、どんな形でも表現をすることで生きていけたら幸せですね。

──「楽になった」とおっしゃられた30代。楽になったことが、より自分を広げていくことにもつながっているのかなとお話から感じます。

結花:悩むことがほとんどなくなりました。誰かから言われた言葉に落ち込んでバランスを崩して……といったサイクルだったのが、あまり気にしなくなったし、30歳まで走り続けたことで少し自信がついて、マイペースを貫けるようになったからかもしれないです。

あと、欲張らなくなったからかも。昔はあれもこれもと欲張ってできない自分が嫌になっていたけど、今はやれる範囲で全力を尽くしていくことと芯がブレなければいいなと思えるようになりました。ずっと続けてきた“今年やるリスト”を作るのもやめて、そのときの気持ちに素直になることを大切にしてみたら、毎日がこんなに穏やかなんだなと思える余裕ができました。

橋本結花さん
11月1日、晴れてメディアをリリース。今後の活動が楽しみです

月永結花さんの三原色

コンテンツや出来事など、今の月永結花さんの元になる「三原色」を挙げてもらいました。

安室奈美恵

小学生の頃に好きになって、ずっと目標としてきた存在です。自分のやるべきことをひたむきに続ける姿勢や、アーティストとしてブレない姿に、人生にとって大切なことをたくさん教えてもらいました。引退した今も、わたしにとっては変わりのない存在です。

言葉

手紙や日記を書くことから始まり、ブログ、歌詞、ライターの仕事……と、いつも言葉がそばにありました。
最初は話せないことを書く、思考を整理するために書くところから、今は誰かの生活の一部になれるような言葉を書けるようになれたらと思っています。

インターネット

インターネットと出会ったことで、自分が過ごしていた環境と別の違う世界があることを知りました。ブログやライターのお仕事など、インターネットがあったことでいろんな出会いや経験をすることができたと感じています。

今回のミチイロビトの振り返り

月永結花さん

1987年生まれ。ライター、ソングライター。ひとりの時間を充実させることは、心を豊かにすることにもつながるんじゃないかという思いから、2019年11月1日に「毎日を自分らしく、ひとり時間を楽しむためのメディア『Me-Time』」をリリース。
Twitter:@yuika_0073
Instagram:yuika0703
HP:毎日を自分らしく、ひとり時間を楽しむためのメディア『Me-Time』

 

▼月永結花さん執筆の「私の偏愛」はこちら

私の偏愛vol.6◆希望を持つ強さを教えてくれた、私の永遠のミューズ

About The Author

卯岡若菜
1987年生まれのフリーライター。大学中退後、フルタイムバイトを経て結婚、妊娠出産。2児の母となる。子育てをしながら働ける仕事を転々とし、ライターとしての仕事を開始。生き方・働き方に興味関心を寄せている。
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