ミチイロ

点在した出会いが、つながり、広がる。“komeama”の山崎綾乃さん

人との出会いは不思議です。偶然でしかないはずの出会いが、あとになってみると偶然に思えなくなることも。その時々の居場所で出会ったに過ぎない人たちが、なぜかつながることもある。「縁」という言葉をひしひしと実感したことがある人もいるでしょう。

「今になって、いろいろな出会いがつながっているんです」と語る山崎綾乃さん。生米麹を使った非加熱甘酒、「komeama」の製造と販売を行う女性です。

一つひとつの点が線になり、そしてひとつの絵になる。それが、「わたし」を描いているのでしょう。

甘酒の出張販売先にお邪魔して、お話をうかがいました。

山崎綾乃さんのミチイロ

わたしが山崎綾乃さんに出会ったのは、埼玉県越谷市、旧日光街道にある「はかり屋」です。印象的な「甘」の字、長机の向こう側で始終にこにこと穏やかに笑う女性が綾乃さんでした。

はかり屋前

綾乃さんが行っている「KomenoWa」プロジェクト。そのうちのひとつが、甘酒のkomeamaです。komeamaは、生米麹を使った非加熱甘酒。お米の甘さがじんわりと感じられるやさしい味わいが特徴です。甘みは発酵することにより生まれるもので、砂糖は一切使っていないのだとか。

甘酒に苦手意識を持っていたわたしが、その認識を改めたkomeama。綾乃さんが甘酒づくりを始めるに至るまでを、はかり屋の店前でお聞きしました。

価値がわかる人に、価値あるものを届けたい

――今日の限定フレーバーもおいしかったです……! 個人的に今まで甘酒をおいしいと感じたことがなかったため、本当においしさにびっくりしています。komeamaは、始められてどれくらいになるのでしょうか。

山崎綾乃さん(以下、綾乃):おいしく飲んでいただけて嬉しいです。komeamaは、今から3年前、2016年から始めました。

――もともと甘酒がお好きだったのですか?

綾乃:いえ、わたしも甘酒をおいしいと思ったことはありませんでした。飲むようになったのは、体調を崩してしまった3年半くらい前です。もともとアトピーを持っていたこともあり、肌のコンディションが崩れてしまって。処方された薬を飲んでいたのですが、胃腸を整えなければ根本的によくならないと知ったんです。

綾乃さん
出店中の様子。お客さんと話す綾乃さんはいつも楽しそうだ

「甘酒がいいらしいよ」と教えてくれたのは、母でした。そこで市販品を買って飲んでみたんですが、やっぱりあまりおいしくない。そのうえ、価格も高いんですよね。そこで、「甘酒って麹で作れるんだよな。じゃあ、自分で作ってみればいいんじゃない?」と思い、スーパーで麹を買ってきて作り始めました。これが、komeamaの原点です。

――最初は自分のためだったのですね。

綾乃:はい。乾燥麹より生麹のほうがいいらしいこと、麹によって仕上がりの味わいが違うことを一つひとつ知っていきました。さまざまな麹屋さんから生と乾燥の米麹を50~60種類取り寄せて、今もお付き合いのある麹屋さんに辿り着いたんです。

その後、甘酒のおいしさと体にいいことを伝えたいと思い、komeamaとして本格的に仕事にすることになりました。今でこそさまざまな方に飲まれていますが、当初はアスリート向けとして打ち出したんです。

――それはまた、なぜなのでしょうか。

綾乃:甘酒は、「飲む点滴」と呼ばれるほど、体にいいものなんです。体を気遣うアスリートこそ、本当にいいものを求めていると思いました。

komeamaは原材料にこだわっているため、原価がどうしても高くなってしまいます。続けていくためには、価値を理解してリピートしてくれるお客さんが必要です。だからこそ、アスリート向けの商品として打ち出しました。

綾乃さん
上とこの2枚の写真は藤田昂平さん撮影

――今、世間ではタピオカがブームであちこちで店ができていますが……

綾乃:タピオカショップは、いわゆる観光スポットに近いところがあるので、1回写真を撮って飲めたらOKという人も少なくないと思います。タピオカに限らず、女性のブームになるものの多くが、一過性のものになってしまっているような気がしているんです。

――加熱すればするほど、冷めるときのギャップが大きいように思えますね。山崎さんは、komeamaを始める前までも飲食業界に携わってきたのでしょうか。

綾乃:ずっと一貫して飲食業界にいたわけではありません。ただ、高校時代から飲食に興味はありましたね。父が脱サラをして、もつ焼き屋を始めたこともあって。そのため、進学先はスポーツ栄養士の資格が取れる短大に進学しました。

――スポーツ栄養士。すでに今のアスリート向けの商品につながるところがありますね。

綾乃:今振り返ってみると、「そういえば」という感じなんですけれどね。

――綾乃さんご自身がスポーツをやられていた?

綾乃:いえ、わたしはインドア派の子どもでした。3つ年上の姉のほうがアウトドア派でしたね。わたしはシルバニアファミリーで遊ぶのが好きでした。ただ、クラブ活動は両親に勧められて運動部に属していましたね。小学校時代はバドミントンを、中学校時代は軟式テニスを、高校はダンスをやっていました。

――そして、短大で栄養士の資格を取ります。その後、そちらの分野のお仕事に進まれたのですか?

綾乃:それが、全然。「ひとまず学んだからOK」と思って、海外に行きたいなと思ったんです。そして、イギリスに1年間行きました。当時、伯母が住んでいたこともありまして。

――それは、綾乃さんの初海外だったのでしょうか。

綾乃:いいえ、アジアには行ったことがありました。これも、当時その伯母が住んでいたため、母と会いに行ったのですが。ただ、ヨーロッパははじめてでした。

――イギリス、いかがでしたか?

綾乃:よかったですよ…! 伯母を頼って行きましたが、とても楽しかったです。感覚や価値観が日本と全然異なることを知るいい機会にもなりました。

――帰国後は、どのようなお仕事をされていたのでしょう。

綾乃:栄養士にはまったく関係のない仕事をしていました。テレマーケティングをやったり、コールセンターの立ち上げに携わったり。その後、インテリア関係の仕事に就きたいなと思い、転職活動をしました。嬉しいことに内定が決まったのですが、わたしはそれまでにインテリア関係の知識や経験があるわけではありません。

そのショップは、ヨーロッパ家具を扱うところだったので、せっかくなら本物を見て見識を深めてこようと思い、入社日前の1カ月半を使ってヨーロッパ旅行に旅立ったんです。ロンドン、パリ、ベルギー、パリの順で見て回りました。

――パリが2回。

綾乃:パリ、街並みが非常に好きなんです。色づかいも好きですし、空間そのものもいいですよね。歴史的に価値あるものが見られるのもいい。これはパリに限らずですが、アートに対するハードルが低いのも、日本と違ういい点ですよね。

この旅は、わたしに大きな影響を与えてくれたと思います。今でもInstagramでパリの様子を検索して眺めることがあるんです。ただ、とても楽しい旅だったのですが、最後の最後に大変な思いをしました。

――それは……?

綾乃:帰国した日が、2001年9月11日だったんですよ。ニューヨークで、同時多発テロが起きた日です。

――ええっ。

綾乃:それも、わたしはすでに空港から発ったあとで、まったく知らなかったんです。その後の便から離陸できなくなったらしいですよ。わたしは無事に成田に着いて、そこではじめて事件のことを知りました。空港、誰もいなかったんです。知って本当に驚きました……。

副業として携わりつづけた飲食業で独立

――無事帰国し、インテリアショップへ。販売員としてお仕事されていたのでしょうか。

綾乃:そうです。働いていくなかで、インテリアのなかでも、わたしが特に魅力を感じているものは照明であることに気づきました。イギリスでの影響もあったのかもしれません。そこで、照明を極めるために照明コンサルタントの免許を取得しました。

このインテリアショップ勤務時代が、わたしにとって非常に大きなターニングポイントだったなと思います。今のわたしの人脈のうちかなりの数に、この時代の人が関係しているんです。

――インテリアと、飲食である甘酒。一見結びつきませんね。

綾乃:そうなんですよね。それが不思議と切れなくて。極めているものは別ですが、根底にある考え方や価値観が似ていたからなのかもしれませんね。

飲食業は副業で携わり始めていました。カフェや居酒屋、バーなどで、金曜日の夜と土曜日に働いていましたよ。ああ、中途採用人事の仕事をしていたこともあります。そこから、バリスタになりたいなと思って、広尾のセガフレード・ザネッティに入りました。

―いよいよ飲食が本業になってきましたね。

綾乃:このカフェの運営に携わったことをきっかけに、メニュー開発も行うようになりました。そして、scarpekutsu(スカルペクツ)として独立することになったんです。2012年のことです。ただ、このときはまだkomeamaはおろか、甘酒に関すること自体やっていません。メニュー開発などが主な仕事でした。

開業したあとに社員として働いたこともあります。カフェのオープニングメンバーとして仕事をしたんです。これが前職にあたります。下北沢にオープンして、今はもう閉店してしまったお店なんですが、米粉パンのフレンチトーストを米油で揚げるスイーツを出していました。

――ここでお米が。

綾乃:そう、このときにお米に出会っているんです。そして、この後2016年3月にお店を辞め、komeamaをメイン事業として完全に独立することにしました。

――komeamaが社名なのかと思っていたのですが、実はscarpekutsuだったのですね。

綾乃:そうなんです。飲食業のうち、甘酒に関することをkomeama、その他はscarpekutsuとして受けています。

――scarpekutsu、由来は何なのでしょうか。

綾乃:靴と靴です。スカルぺがイタリア語で靴、クツはそのまま靴ですね。ふたつの言葉を合わせた造語なんです。

生産者さんとわたしとが、自分ひとりでは歩けない道を一緒に歩いていきたい、歩いていけるような仕事をしたい。そうした想いで名付けました。komeamaは、さまざまなジャンルの方とコラボした甘酒を作っているんですよ。

――わたしがkomeamaを知ったのが、今日お話をお聞きしている「はかり屋」前での出店時のことです。わたしの中では「はかり屋の人」といってもいいくらいのイメージなのですが、綾乃さんとはかり屋との出会いは何がきっかけだったのでしょうか。

綾乃:ありがたいことに、はかり屋の人とは本当に楽しくやらせてもらっています。きっかけは、本当に人が人を呼んだといってもいいものなんです。ここでアクセサリー販売を行っている裕子さんの夫の姉と友達で。彼女と話して親しくなっていくなかで、ほかのお店の方とも出会って仲良くなりました。

おまけに、komeamaを出店している後ろにある「つると」の知子さんには、わたしが以前勤めていたインテリアショップでの勤務経験があったんですよ。時期は重なっていないんですが、不思議なほど人と人とがどこかでつながっているんですよね。

――ひとつの建物のなかで仕事をしている人のうち、ふたりと人の縁がつながっていたんですね……!

「komeamaをはじめて、いいことがたくさん起こった」40代の今が1番楽しい

甘酒
komeamaは老若男女問わずおいしく飲める

綾乃:甘酒の話で、ひとつ最近本当に驚いた話があるんですけれど、いいですか?

――はい、ぜひ。何ですか?

綾乃:多くの方がそうであるように、わたしの味覚を作ったのは母です。だから、わたしがおいしいと思って作っているkomeamaは、母がおいしいと思った味を参考にしているといってもいいと思っています。

その母が、ずっと好きで好きで、「常備菜」というレシピ本を参考にしてきた飛田和緒さんという料理家さんがいるんですね。この、飛田さんがkomeamaの甘酒を飲んでくださって、雑誌で推薦してくださったそうなんです。今度、その雑誌の取材を受けるんですよ。

使い込まれた「常備菜」

出版社から連絡をもらって、母に伝えると、目の色を変えて「あの? あの飛田先生なの?」と大騒ぎになりました。飛田さんから母に伝わった味が、わたしに伝わり、わたしが作ったkomeamaを、飛田さんがおいしいと思ってくれた。これ、すごいことですよね。

――縁ですね。つながった。

綾乃:そうなんです。ご本人にお会いできたら、この話をお伝えしたいと心に決めています。

komeamaをはじめてから、本当に毎日が楽しくて、人にも恵まれているんですよね。40代が1番ハッピーだと思っているくらい。お米って、わたしたち日本人にとって、非常に重要なものなんですよ。お米は神様へのお供え物の最上級のものですし、日本酒もそうです。だから、なんだかちょっと、神様が味方になってくれているんじゃないかな、と思うんですよね。

綾乃さん
最近「パンに垂らしてもおいしいはず」とお聞きした。試してみます

お話に出てきた取材を受けた雑誌は「CREA」。2019年7月5日に発売されました。

山崎綾乃さんを作った三原色

コンテンツや出来事など、今の山崎綾乃さんの元になる「三原色」を挙げてもらいました。

イギリス

人生初めての長期滞在した国。

ここで暮らすことで文化の違いとか改めて日本が好きなんだなと気づかせてくれた時間でした。

部屋のインテリア、照明の使い方、ホームパーティーの楽しさなど今の私にとってこの時の時間は今でも影響しています。

パリ

イギリス滞在中に母とバスで行ったパリが初めてでした。

それからはイギリスよりも好きになった国。雰囲気、色彩感覚、アートなどなどどれも心地よい一方で、自分と向き合うとても大切な時間が過ごせました。

今でもどこへ行きたい?と言われたら「パリに行きたい」と答えると思います。

米麹甘酒

今の私があるのはこの存在なしでは語れません。

米麹甘酒を飲んで体調がよくなり、人間関係もとても広がり、日本の食文化に改めて興味を持ち大切さを知ったものです。これからも大切に伝えていきたいと思います。

今回の「ミチイロビト」の振り返り

山崎綾乃さん

東京生まれ、鎌倉育ち。テレマーケティングやインテリアショップ販売員、中途採用人事、カフェの運営など多様な仕事を経て、scarpekutsu(スカルペクツ)として2012年に独立する。主な事業は、生の米麹を使って作る非加熱甘酒を製造販売する「komeama」。さまざまな場所で出張販売も行う。

Twitter:https://twitter.com/_komeama
komeamaホームページ:https://komenowa.net/

About The Author

卯岡若菜
1987年生まれのフリーライター。大学中退後、フルタイムバイトを経て結婚、妊娠出産。2児の母となる。子育てをしながら働ける仕事を転々とし、ライターとしての仕事を開始。生き方・働き方に興味関心を寄せている。
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