ミチイロ

私の偏愛vol.8◆ただ浮いて、ただ沈む。わたしのリラックス法はプールです

約 6 分

少し前に、TwitterのDMに「ミチイロの偏愛コラムを書きませんか?」とメッセージが届いた。もともと読んでいたコラムだったから、やっほーい!と喜んだのはいいものの、“偏愛”と言えるほど愛しているものはなんだろう、と悩んでしまった。

漫画もすき、映画もすき、食べることもすき。でもそれって偏愛だろうか?そう考えていたときに、ピン!ときたのが「水」だった。飲むための水じゃない。体をざぶんと沈めて、息を止めて、そこではずっと生きてはいけない、水の世界の話。

日焼けNG!海水浴なんて行きません

元々は、“水の世界”なんてまったく興味がない人間だった。海もプールも行きません、肌が焼けちゃいますからね、夏は部屋から出たくありません。そんなタイプ。

『耳をすませば』の夕子のセリフ、「またそばかすが増えちゃうじゃない!」なんて完全同意だ。主人公の雫が待ち合わせ時間に遅れて、友達の夕子を夏の紫外線の下で待たせたとき出てきたセリフ。

「そうだそうだ!そばかすが増えちゃうじゃない!」と思いながら、夕子を待たせた雫に対してちゃんと11時に昇降口に行け!と憤慨したものだ。

それがガラッと変わったのは、数年前のハワイ旅行がきっかけだった。

自分の人生の中で、まさかハワイに行くことになるとは思っていなかった。自ら行動したのではない、全員参加の社員旅行だった。いまはもう退職しているが、わたしを水好きに変えてくれたことにはものすごく感謝している。

ハワイのおかげで、わたしは変わった。

あまりにもきれいなエメラルドグリーンにテンションが爆上がりして、車の影で水着に着替え、紫外線も気にせず水とたわむれた。そばかすなんてなんのこっちゃだ。

「あれ!?海水浴ってこんなに楽しかったっけ!!??」と頭の中がプチパニックになりながらも、自由時間いっぱいまで水遊びを楽しんだ。

そこから、わたしの「水遊びって最高!」モードが開始する。

ハワイから、近所のジムのダイビングプールへ

水遊びって楽しい!となったはいいものの、毎月ハワイに行けるわけもなかった。毎年でも厳しい。あれは人のお金だから行けたのだ。自分のお金でハワイに行けない以上、わたしは二度とあのエメラルドグリーンに会えない。かなしい。仕事がんばろ。

ただ、自分の中の「泳いだり潜ったりしたい」は日本に帰っても消えていくことはなく、むしろコンクリートジャングルで生活していく中でむくむくと膨らんでいった。

泳ぎたい、潜りたい、重力のない世界で遊びたい!!!

気がついたら、わたしは近所のジムに申し込んでいた。

ハワイの広い広い海から、近所の狭い狭いプール。でもいいのだ、毎日でも通える距離にある水遊びの場は、それだけでとっても貴重だ。

そのジムには、大きくはないもののダイビングプールがある。通常は浮きを付けてぷかぷか浮いているだけしかできないそのプールは、1日の中で数時間だけ、潜水がOKになる。

わたしは、限られた潜水可の時間の主になった。潜水目的でジムに来るおじさまやおばさまは少ない。水に潜れば、そこにはわたししかいないのだ。

最高だ、水の世界をひとりじめ!!

ぐぐっと息を止めてプールの底にくっついて、仰向けで水面を見ているときもある。きらきらの光が水を通してわたしのところに届き、あぁきれいだな、とぼんやり思ったりもする。ぐんぐんと底を泳いで、たまにぐるっと宙を舞うときもある。

重力がなければ、人間は自由だ。逆立ちだって、宙返りだって、なんでもできちゃう水の中。こんなに楽しい場所はない。

インターネットがない世界で、心だけが息をする

プールには、週に最低でも2回、多いときだと週4日ほど通っている。ただ楽しいだけでは、ここまでハマらなかった。楽しいだけではないものが、水の中にはあるのだ。

わたしはフリーランスとして生きているので、家でかちゃかちゃパソコンを触るのが仕事のひとつ。パソコンを触っていないときはスマホを触り、そのどちらも触っていないときはNetflixを見ている。いつもなにかの情報が頭の中に入ってくる生活だ。

顔も名前も知らない人の意見が、ネットを通して脳みそに入ってくる。ネットでの言葉の殴り合いに遭遇して、そそくさとその場を離れることも少なくない。

情報は必要だ。いろいろな人の意見を知ることができるのはおもしろいし、ためにもなる。ただ、情報が頭の中で踊り出して脳みそをぶち破りそうになるときも、多々ある。

いわゆる、キャパオーバーなんだと思う。

「もう入ってこられないよ!ノット情報社会!」と脳みその門番が言っていても、インターネットがある限り門番は弱い。踏み倒されて、続々と新しい情報がぶわわわわとなだれ込んできてしまう。

水の中では、脳みそは解放される。なにを考えても、なにも考えなくてもいい。パソコンもスマホも持ち込めない水の中では、新しい情報を得ることはできない。どこで誰が泣いていて、笑っていて、怒っているか。知る手段がない。

ほうっと、息をしている気がする。呼吸のできない水の中で、いっとき、心が大きく深呼吸をする瞬間がある。水の中で目を瞑る。体がぷかぷかと浮いて、また沈む。

どんなに気になっている仕事の進み具合も、SNSのタイムラインの増え具合も、プールに入る前にアップした記事の反応も、水の中ではチェックできない。

それでいい。それがいいのだ。

呼吸が苦しくなるほどに、心はふわりと膨らんで、自由になる。インターネットがない世界で、心だけが、大きく息をできるのだ。

ちなみに筋肉はつきません

「プールに行っている」と言うと、「えらいね~!」と褒めてもらえることがある。どうやら、体型維持や健康のために行っていると思われているらしい。

まともに泳がず、ぷかぷか浮いたり沈んだりしているだけなのに。褒められて悪い気はしないので、「えっへへ、楽しいっすよ」とドヤ顔をかましてみることもある。

クロールも平泳ぎもまともにできない私だけど、水の中で浮いたり沈んだりはできる。筋肉をほとんど使っていないのか、体への変化も特にない。体重も変わっていない。

でも、それでオッケー。「筋肉を付けるために!目指せスーパービューティーボディ!」と意気込んでしまえば、プールは避難所ではなくなる。プールを、身体づくりのためにがんばる場所にはしたくないのだ。

ただ楽しいから、ただ気持ちが安らぐから。

それだけでいい。今週も来週も、来月も再来月も。ただ浮いて、ただ沈む。そんなプール生活を、わたしはきっとこれからも、淡々と続けていくんだろう。

 

執筆・撮影:くまのなな(@kmn_nana
編集:卯岡若菜(@yotsubakuma

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