ミチイロ

私の偏愛vol.11◆家族以上に家族なトンボカフェ

約 8 分

「いらっしゃいませ」が私には「おかえり」に聞こえてしまうカフェがある。その名はトンボカフェ。これは、フードライターの私がトンボカフェと出会って偏愛するまでの記録だ。

トンボカフェとの出会い

トンボカフェの存在を知ったのは大学生1年生の頃。カフェ好きの友人の口から「トンボカフェ」という言葉を聞いたことが始まりだ。

足を運んだのは社会人1年目の春。ゴールデンウィークの最終日、私は彼氏とトンボカフェに初めて行った。存在を知ってから足を運ぶまで、4年もの年月が経ったことになる。

確実に席を取りたくてお店に向かう前にお店に電話した。「は〜い!トンボカフェです!」電話に出たのは元気の良い店員さんだった。彼女の名はかおりさん。トンボカフェのオーナーだ。この時、初めてかおりさんの声を聞くことになる。「とても感じの良い人だった!!」嬉しくて彼氏にそう言ったことを今でも覚えている。

トンボカフェは社会人になる前から知っていたが、学生時代は奨学金稼ぎと勉強に忙しく、とてもじゃないがカフェに行く余裕なんてなかった。行くとしても、大学付近にある都内のカフェ。カフェはあくまでもサークルやゼミの準備のために利用する場所であって、くつろぐための場所ではなかった。

それなのに、トンボカフェには行く前から惹かれていた。大学時代に友人から良い評判を聞いていたからかもしれない。

お店に着くやいなや、私はトンボカフェ全ての虜になった。店員さん、スイーツ、雰囲気、それはもう全て。

初めて口にしたスイーツは、いちごのロールケーキだった。ふわっとした食感とシュワっと舌に馴染んでいく生地と生クリームの相性が絶妙。嘘偽りなく、こんなにも心と舌を鷲掴みにするスイーツとは出会ったことがなかった。

思わず帰り際に店員さんにこう言った。

「ま、また来てもいいですか?」

それが、私のトンボカフェ通いの始まりだった。

トンボカフェ通いスタート

初めてトンボカフェを訪れて以来、月に1、2回は必ず行くようになる。トンボカフェを独り占めしたくて、いつもひとりで通っていた。もう、夢中だった。仕事が辛い時には週末にトンボカフェに行けることを楽しみにしていたし、頑張る理由にしていた。

土日になると彼氏や友達と会うが、その合間を縫って待ち合わせの前や用事の前後に何とかしてトンボカフェに出向いた。ドリンク1杯でもいい、たった30分でもいい、私はただトンボカフェの空間で過ごしたかった。何よりも、かおりさんとペコさんに会いたかった。

ペコさんは、オーナーかおりさんの妹。そしてプロのパティシエでもある。

ベリーミルク

通うたびに、インスタグラムに熱い想いを綴った。スイーツ、サンドイッチ、カレー、ドリンク、さらには小皿に乗った副菜まで、トンボカフェのあらゆることについて投稿した。

会社が休みの週末には、彼氏と過ごす時間よりもトンボカフェで過ごす時間を優先することもあった。オープンからクローズまで、追加オーダーをしながら丸一日滞在することも。

大切な居場所になるまで、時間はそうかからなかった。心の中にすっと入ってくるかおりさんのおかげで、会社でもない、家でもない、他のどこよりもくつろげる場所がトンボカフェになった。

精神の限界を迎えた時、心の拠り所だと確信した

トンボカフェに通うようになってから2ヵ月目、つまり社会人1年目の夏に私は精神の限界を迎える。

理由は長年に渡る家庭内不和によるストレスと、職場で突発的に降りかかった過度なパワハラによるものだ。両方の環境で人格と努力を否定され続け、私の心はほとんど崩壊していた。

ある日の朝、私はいつも通りに朝の通勤電車に乗った。だが、降りようとしたはずの駅で降りられない。その代わり、呼吸を荒げながら涙を流していた。

おかしいな、ついさっきまで呼吸していたのに。どうやって呼吸していたかが分からない。私の心が叫んでいた、「降りちゃだめだ」と。

その日は適当な理由をつけて会社を休んだ。きっと今日は疲れていたんだ、明日ならうまく電車を降りられる、大丈夫だ、って。

でも、翌朝も同じことの繰り返しだった。どう頑張っても会社の最寄り駅で降りることができない。

だからといって、家にも帰れなかった。家に理解者なんて、誰もいなかったから。慰められるどころか、「パワハラはあなたが招いたこと」と私のせいにされることは目に見えていた。行き場のない心が救いを求めていた。気がつけば、私の足はトンボカフェへ向かっていたのだ。

「会社に行けなくなったんです」
「家にもいたくないんです」

心は泣いていた。でも、笑いながらかおりさんに伝えた。もう、どうしようもなくて笑って話すことしかできなかった。かおりさんは、ただ優しく話を聞いてくれた。かおりさんは、いつも通りの優しくて温かいかおりさんだった。

その優しさに安心し、ずっと避けていた心療内科を受診することにした。強くいなければ生きていけない環境で育った私にとって、心療内科にかかることは自分を弱い人間だと認めてしまうようで、怖くて行けなかったのだ。

(実際にはそのようなことはなかった。心療内科は、自分の弱さを認めることができる、勇気を持った強い人間が行く場所だったのだと、今なら分かる。)

診断結果は、「適応障害」だった。

社会人になってから突然降りかかってきた強烈なパワハラと、幼い頃から蔓延っていた家庭内不和に、ついに心が耐えきれなくなっていたのだ。どこにいても息が吸えず、自殺を試みるほど追い詰められていた。

家にいても、会社にいても、私の居場所はどこにもない。

そんな時にトンボカフェは私の心の拠り所になってくれた。かおりさんの笑顔とペコさんの美味しいスイーツは、心の栄養になった。家庭のことも、仕事のことも、2人になら何でも話せた。私にとって、姉同然。本当の家族以上に、家族になった。

まだライターではなかった私を「ライター」にしてくれた

ついに社会人1年目の冬に会社を辞めることになる。パワハラに耐えきれなかったことも退職理由のひとつだが、一番の理由は「ライター」になるためだった。幼い頃から書くことが救いだった私にとって、いつしか書くことが生きがいとなっていた。

私のどんな突拍子もない決断も、かおりさんとペコさんは応援してくれた。

そう、本当に応援してくれた。「ライターになりたい」と私がずっと発信していたことから、かおりさんが常連のお客さんを経由して某雑誌の編集長と出会わせてくれたのだ。そのおかげで雑誌ライターとしてデビューを果たすことになる。

こんなことが、実際に私の身に起こるなんて。

そこには愛と信頼があった。かおりさんと心優しい常連さんのおかげで、素敵な編集長と出会えた。トンボカフェを通して出会う人は皆、温かい。

お店には、私が執筆した記事が載っている雑誌が常に置いてある。私がお店にいる間も、いない間も、かおりさんはお客さんに私の記事を紹介してくれている。こんなに愛情深いカフェスタッフはいるのだろうか。

そして、お客さんも私の記事を読んでくれる。「よんちゃん、記事良かったよ!」そう言ってくれる。お店の方も、常連さんも、みんなが応援してくれたおかげで私はライターになれた。

会社を辞め、無職になった私をトンボカフェは「ライター」にしてくれた。

この先も、私はトンボカフェを愛している

今は生活もライターの仕事も少しずつ軌道に乗り、会社員1本だった時代よりも忙しい日々を送っている。以前と比べて、トンボカフェに行く頻度は少なくなってしまった。今では、忙しい日々の合間を縫って月に1回ほどトンボカフェで心の充電をしている。これは、ある意味「巣立ち」を意味しているのかもしれない。私にとって避難所のような場所が、カフェ本来の役割である「休憩所」になったのだろう。

かおりさん、ペコさんとの出会いは、私の人生を大きく変えた。辛い時に頑張る理由を与え、生き続ける勇気、私の選択の肯定、そしてライターになるきっかけを与えてくれた。

フードライターという職業上、カフェを取材することが多いが、今までも、この先も、トンボカフェが私の一番のカフェであることに変わりはない。トンボカフェは私にとってカフェ以上の、家族のような空間だ。

世の中にカフェは溢れかえるほどある。その中で、トンボカフェと出会えたことは私の誇りだ。出会えて本当に良かった。私はトンボカフェに生かされている。私にとって、トンボカフェがカフェ以上の存在であることは言うまでもない。

<トンボカフェ>
営業時間/11:00~18:00 (火曜日は21:00まで)
定休日/水曜日、第2第4土曜日 日曜日
電話番号/047-429-8389
住所/千葉県八千代市勝田台北1-21-26
アクセス/京成本線「勝田台駅」から徒歩7分※ 看板は2018年のものです。現在とは異なります。
※ 写真のメニューは期間限定のものもあります。季節と共に移り変わるスイーツとドリンクもトンボカフェの魅力です。
※ 詳しい営業日はトンボカフェのインスタグラム
https://www.instagram.com/toonbocafe/)をご確認ください。

執筆・撮影:梶原よんり(@yonri_writer
編集:卯岡若菜(@yotsubakuma

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