ミチイロ

働き方から、生き方へ。くらしの先に生業を見つけた杉山有希さん

「好きや得意を活かす仕事」やリモートワーク、パラレルキャリアやワークライフバランス。働き方が多様化するなか、働き方について考える機会は増えています。

ただ、目指したい理想は働き方ではなく、その土台にある生き方にあるのかもしれない。目の前のことに没頭しながら、そうした考えに行き着いた女性がいます。

昔ながらの「正解ルート」から、理想の働き方へ、そして理想の生き方へ。思考を深めながら、自分の道を歩んでいる杉山有希さん。長野県根羽村に暮らす彼女に、電話でお話をうかがいました。

杉山有希さんのミチイロ

現在、有希さんは夫のマギーさんと共に長野県根羽村で古民家宿泊施設「まつや邸」の運営をしています。ただ宿泊施設として貸し出すだけではなく、村の住民と触れ合える体験メニューや杉山夫婦と朝食や夕食を共にできるメニューなど、ユニークに過ごせるのが「まつや邸」の特徴です。

有希さんにいただいた夫婦の写真。まつや邸前にて。

自然豊かな根羽村に、夫婦が東京から越してきたのは2018年冬のこと。マギーさんの希望に有希さんが賛同して実現した移住でした。

「まつや邸」の運営と同時に、ふたりが力を入れているのが移住者の誘致です。「移住者の仕事を作り、安心して移住してこられるような環境を整えたい」と、特に妻・母親の居場所や仕事を作る活動を行っています。

有希さん自身、もうすぐ子育てがはじまるひとり。身重ながら、名古屋で行われるセミナーに出席したり山に入ったりと、精力的に活動しています。「山に入っているときの方が、体調がいいんですよ。赤ちゃんにも何か伝わっているのかもしれません」と朗らかに話してくれました。

ダムが好きだった子ども時代

――「まつや邸」のある根羽村は、川や緑にあふれた本当に素晴らしい場所ですね。移住のきっかけはマギーさんだとうかがっていますが、有希さんにも移住願望があったのでしょうか。

杉山有希さん(以下、有希):移住願望が強かったわけではありませんが、今思えば、子ども時代から自然に興味がありました。生まれ育ちは埼玉県桶川市で、両親は富山出身。自然がある土地で育っているのも関係しているのかもしれません。

大学は自然が多いところに行きたいと思って、金沢を選びました。山の中にある大学で、とてもいい環境でした。遠方の大学を選んだ理由には、ひとり暮らし願望もあったんですけどね。

――大学では何を学ばれていたんですか?

有希:土木です。子ども時代から、ダムが好きで。

笑顔が朗らかな有希さん。今回はお電話での取材ということで、撮影した写真を送ってもらった。

――ダム? え、あの、水を貯めるダム?

有希:そうです(笑)変わっていますよね。ダムや橋が、子どもの頃から今もずっと大好きなんです。

――どういうところが好きなんですか?

有希:かっこいいところですね。コンクリートのつるっとした感じとか、たまらなく好きで。ダムや橋って、ひとつの芸術だと思うんですよ。ダムを訪れるともらえるダムカードの収集もしています。

ダムを建設するために沈まざるを得なかった村に、思いを馳せてみることもあります。黒部ダムのドキュメンタリーも大好きです。

――その好みは、なかなか子ども時代には共感されづらかったでしょうね。

有希:わかりあえる友達はいなかったです(笑)

――土木学科では、どういったことを専門に学ばれていたんですか?

有希:まちづくりや建物の構造などです。大学2年生のときに起きた東日本大震災をきっかけに、ゼミは津波や高潮に対して街をどう守っていくのかについて、ハード面から考えるところを選びました。

新卒の就活で重視したのは、「安定」だった

――卒業後、どのような仕事に就かれたのでしょうか。

有希:新卒で入ったのは都庁です。港湾関係の仕事をしたいな、という気持ちもあったのですが、同時に考えていたのは公務員の安定性ですね。

――「安定した職業」に就きたかった?

有希:就きたかったですし、それが正解だと思っていたところがあります。父が高校の社会科教師で、真面目な話をすることが多い家庭でした。ただ、割と価値観をぶつけられることも多くて。その価値観こそが正解だと感じていた部分もあったのだと思います。

――お母さまは?

有希:母は看護師でした。どちらかというと、妻としては「3歩下がる」タイプだったように思います。父が絶対的な存在、といった感じはありましたね。

――では、娘の都庁への就職を喜ばれたのではないでしょうか。

有希:喜んでいましたねえ。だから、2年間務めたあとに転職すると話したときには、猛反対を受けました。

有希さんが新卒で就職した都庁。大勢の人が働いている、という言葉がわかる大きさ。

公務員、特に都庁は本当に多くの人が働いているので、わたし自身が仕事で成長していく実感が持てなくて。年功序列も残っているため、若手はどうしても雑務が増えてしまいますし、目の前の仕事をこなすことだけで手一杯になってしまうところがあるんですね。このままでは、いつまで経っても社会で通用する仕事ができるようにはなれない。そう思っていました。

ただ、わたし、転職しようと思って転職活動をしたわけではないんですよ。

――え、ではなぜ?

有希:友達の友達が結婚したときの式の動画を見たのがきっかけなんです。その結婚式に携わっていたのが、転職することになったCRAZY WEDDINGです。

動画を見てから、CRAZYについて知っていきました。そのなかで、「ああ、もっと仕事って楽しんでいいんだ」と気づいたんです。地位や名声、昇進ではない、別のところにある自分のためのキャリアステップといいますか。本当に生き生き働いている人たちばかりで、衝撃を受けたんですね。

転職に際し、印象に残っているのは、採用面談を兼ねて山川さんとごはんを食べに行ったときにかけられた言葉です。「『自分なんて』って言うのはやめた方がいいよ」「それは、今すぐにやめられることだよ」って。

――ああ。「自分なんて」。ネガティブな言葉ですよね。

有希:はい。そう言われて、「変わりたい」じゃなくて、自分が今決めれば「変われる」んだって思いました。都庁からベンチャー企業への転職だったので、親の価値観から考えると反対するのも無理なかったのだろうなと思います。でも、その後は理解してくれるようになりました。子ども時代は父の価値観を押し付けられがちでしたが、今では対等に話せるようになったと感じています。

――CRAZYでは、どのような仕事をされていたのでしょうか。

有希:コーディネーターとして、結婚式のプロジェクトマネジメントを行っていました。CRAZYの結婚式は、一般的な結婚式のように、あらかじめ内容が決まっているプランから選ぶものではないんです。完全オーダーメイドなので、工程が300くらいあるんですよ。

毎回ゼロベースから始めるため、ひとつとして同じ仕事はありません。コンセプトを決めたあとも、演出や引出物に至るまで、事細かに決めていくことがたくさんあって。おふたりの伴走者として走りつづけました。100組程度の結婚式を新郎新婦さんと作り上げてきましたね。

そして、ここで今につながる体験をひとつしています。2017年10月からの3ヶ月間、茨城県で「田舎リモートワーク」の体験に参加したんです。

――プチ移住ですね。どのような体験だったのでしょうか。

有希:1ヶ月に1週間、茨城県の古民家でリモートワークを行いました。茨城県が東京の事業者向けに行ったもので、CRAZYからは3人行くことになったんです。ちょうどリモートワークが注目されはじめた時期でしたね。もともと自然が好きなので、立候補したんです。

都内は刺激的ではありますが、エネルギーが常に渦巻いているしんどさも感じていて。空気もおいしくないんですよね。表向きはきれいなようでいて、実はきれいじゃない部分もある都内の雰囲気が、あまり好きじゃないんです。

――余裕のなさは、わたしも感じることがあります。弱っているときは、エネルギーの強さに負けてしまいそうになりますね。田舎でのリモートワークはいかがでしたか?

有希:とてもよかったです……!リモートワークだからこそ、ガツガツ仕事を進められたり、集中できたりするんだなと感じましたね。ただ、リモートワークは絶対的な正解ではなくて、職種によって向き不向きがあるとも感じます。

たとえば、何かを作るクリエイティブな仕事だと、ものを持ち運ばなければならないため、リモートワークは厳しいんじゃないかな、とか。わたしの場合は頭脳労働なので、パソコンさえあればどこでも仕事ができたんですよね。

このリモートワークの体験を通じて、働き方ではなくて生き方を考えるようになりました。「こうやって生きていきたいから、こんな働き方がしたい」にシフトしていくきっかけになったんです。

30歳を目前にして見つけたのは、「くらしが好き」だという自分の気持ち

――マギーさんとご結婚されたのは、CRAZY在職時代のことなんですよね。

有希:そうです。彼はもともとCRAZYの同僚で、2017年5月にCRAZYで結婚式を挙げています。わたしはもともと結婚願望がなかったんですが、彼と付き合い始めて1年で結婚を決めました。マギーは元から早く結婚したいタイプだったそうですよ。

結婚に関しては、ちょっとおもしろい話が合って、決めたタイミングが仕事に関係しているんです。結婚話が浮上してはいるものの、まだ両親に挨拶をしたわけでもないタイミングで、営業ノルマがあとちょっとだね、という月末があって。そのときに、「わたしたちが結婚しちゃえば1件クリアできるよね」「しちゃおっか」と。ギリギリもギリギリ、23時50分のことでした。

――現実的というか、勢いがすごいというか。

有希:契約したあと、1週間後までに前金を支払わなければならないので、バタバタと手続きを済ませて。両家の両親に「することに決めました」と事後報告をして。

――外堀を完全に埋めてからの親への挨拶だったんですね。

有希:拒否権はなしです(笑)でも、親は内心「早く結婚してほしい」と思っていたらしく、喜んでもらえましたよ。

――結婚式のお話をお聞かせください。

有希:「意味のあるものにしたい」という思いがふたりともにありました。ストーリーをつけたいな、と。そのため、自ら鰹節を削った出汁を取って味噌汁を作り、おにぎりを振舞いました。おにぎりって、「結ぶ」ものですよね。縁を結びたいな、と思ったんです。相手のことを思いながら結んだおにぎりは、とてもおいしくなるのだということも知りました。具材も、すべてルーツがわかるものを選んでいます。

挙式の日、出汁をとるための鰹節を自ら削るマギーさん
まつや邸の体験メニューのひとつ「杉山家の朝食」

――「まつや邸」のメニューにおふたりと一緒に朝ごはんを作る「杉山家の朝食」がありますが、そのルーツが今わかりました……! この結婚式が由来なのですね。

有希:そうなんです。挙式場も、コンセプトに合うところを探して、葉山にある築70年の古民家に決めました。洗練された、とても素敵な場所なんです。この結婚式は、準備期間から当日まで、本当に大きな影響を与えてくれたできごとだと思っています。

――それだけやりがいと情熱を感じていたCRAZYを退社し、根羽村に移住することになったのはなぜなのでしょうか。

有希:わたしもマギーも、「命を懸けて」といっても語弊がないくらい仕事に没頭していたんです。結婚当初はオフィスから徒歩約2分のところに住んでいて、朝から晩まで働き詰めでした。嫌々ではなく、やりたかったからではあるのですが、やはり体には無理をさせていたのでしょう。体調を崩してしまったんですね。

また、今わたしは第一子を妊娠中ですが、本当は結婚後すぐにでも授かりたかった。若いうちに子育てを一段落させて、そこから仕事に集中したいなあ、なんて思っていたんです。産婦人科にも通っていましたが、通院が大変で。仕事に全力投球しすぎていたのか、産毛がヒゲのように濃くなってしまったこともあったんです。

――仕事に集中していると男性ホルモン優位になる、といわれることがありますね。

有希:そうだったのかもしれません。体調を崩したのが、30歳まであと2年というタイミングでした。そこで、少し立ち止まって考えてみたんです。このままでいいのかな、この働き方でずっとやっていけるのかな、このままだとキャリアは進めていけるけれど、わたしの人生、この方向性でいいのかな、と。そこでわたしが思ったのは、「くらしが好きだな」ということでした。くらしに手をかけて大切にしたいな、くらしの先に何か生業を見つけられたらいいな、そう思うようになったんです。

同じころ、マギーも仕事が多忙なあまり疲弊していて、社内の制度を使って旅に1週間出ていました。さらに、CRAZYが2016年12月から関わりを持ち始めた根羽村に仕事として携わるようになります。そのなかで、マギーは根羽村の魅力に惹かれていったそうです。わたしも何度か彼と遊びに行き、いい村だなと思っていました。

そして、根羽村に関わり始めてから2年を経て、マギーが「根羽村にお客さんとしてではなく、住人として関わりたいから移住したい」と話を持ち掛けてきたんです。「いいね、行こう!」と即答しました。

――躊躇はなかったんですね。

有希:ありませんでした。そして、CRAZYを退社した翌月、妊娠がわかったんです。「ああ、待っていてくれたのかな」と思いました。

――移住先での妊娠出産に対して、不安感はありませんでしたか?

有希:そういった不安感はありませんでした。ただ、それなりにつわりがあったり、眠気や疲れやすさといった体調の変化が出てきたりしたときには、「大丈夫かな、仕事していけるのかな」と気弱になることもありましたね。

――地方で心配になるのは、病院関係もだと思うのですが……

有希:産婦人科は村にないです。そのため、「え、どこでわたしは産むんだろう」と思っていました。ただ、「根羽村からだったら、この産婦人科がいいよ」と教えてもらった病院が、前職の人に聞いたことのあった愛知県岡崎市にある産婦人科で。話を聞いていたときから、お産への考え方が素敵な病院だなと思っていたところだったので、がぜんテンションが上がりました。

産まれてくるまで性別を教えてくれない病院なので、今はそれも含めてとても楽しみですね。

公私の境目は、今はない。「くらしの先の生業」に勤しむ日々が楽しい

――根羽村に越してきたあとの生活、あらためていかがですか?

有希:本当に楽しいです……!公私の境界線がなくなっているなと感じます。移住コーディネーターとして定住者を増やす取り組みをしているため、休日に遊びに行った場所でも、「あ、こんなことがやれるな」「これをコンテンツにしたらおもしろいはず!」と仕事のことを考えている自分がいるんです。夫婦間でもそうした話を盛んにしますし。でも、それがとても楽しいんですよ。

ほかには、リモートが可能な仕事をもらったり、事務作業をしたり、さまざまな仕事をしています。今1番ワクワクしているのは、ママのための場づくりですね。一人ひとり、理想とする生活は違います。そのため、まずはお話を聞いて、その理想を実現させるためのサポーターになりたいなと。そのなかで、「仕事をしたい」ニーズが高いことがわかったので、今はそこに力を注いでいます。

村で行われた植樹祭でのワンシーン

――「どんなくらしをしたい?」と聞かれて、皆さんすぐに答えられますか?

有希:答えられる人の方が少ないです。でも、それって別におかしいことではなくて。CRAZY在職中も、社員は人生についてとことん考えている人ばかりですが、お客さんはヒアリングをするときに即答できる人の方が少なかったんです。

ただ、本当に何もないわけではなくて、考えて言語化したことがないだけなので、話をするなかで大切にしたいものが見えてくるんですね。CRAZYでの経験も活かしながら、ヒアリングをしていきたいなと思っています。

――有希さん自身は、どんなくらしを送っていきたいですか?

有希:家族経営、でしょうか。家族も経営のひとつだよね、と夫婦で話しているんです。子育て事業部、家事事業部、まちづくり事業部、みたいな。子育てや家事は、お金をもらえるものではないけれど、とても大切なものです。すべてをまるっと大切にしながら、楽しみながら取り組んでいく。それが杉山家のカルチャーかなと思っています。

わたし自身、生後4ヶ月で保育園に預けられ、働くのが好きな母のもとで育ちました。わたしも、子どもに働く姿を見せたいですね。

――バイタリティ、という言葉が本当に似合うと思うのですが、くれぐれもご自身の体は労わってあげてくださいね。

有希:本当にそこが課題です。「早く貢献しないと……!」と思うあまり、アクセルを踏みっぱなしにしてしまうので……。ただ、今はブレーキを横から踏んでくれるマギーがいるので、ちょっと安心できるかな、と思います。

お互いをリスペクトしている様子が伝わる、本当に素敵なふたり。

有希さんを作った三原色

コンテンツや出来事など、今の杉山有希さんの元になる「三原色」を挙げてもらいました。

結婚式

わたしの人生を深めるターニングポイントでした。ふたりの考える「豊かさ」や、ものを選ぶ際の選択基準などを、とことん話し合いましたね。ふたりで生きやすくなるために、理想に妥協しない姿勢で臨みました。前職の社風もあり、同僚時代から腹を割って話す機会は多かったのですが、やはり結婚式準備の向き合い方は濃密だったと感じています。

「0から1」が得意なマギーと、その1を100にするのが得意なわたしといったように、強みが違うことにもあらためて気づけました。

「愛すること」エーリッヒ・フロム

哲学者エーリッヒ・フロムが書いた本です。「愛されるにはどうしたらいいのか」といったことについて書かれている本は多くありますが、この本は「愛は事実なのか」といったところから、愛を能動的に捉え、「愛するにはどうしたらいいのか」といったことが書かれています。

ふたりのお気に入りの本は、挙式場にも飾られた

「100の基本」松浦弥太郎

松浦弥太郎さんの本が好きで、そのなかでも最初に出会ったこの本をあげました。読むことになったきっかけは、夫マギーです。互いに本を勧め合っているなかで教えてもらいました。

松浦さんは、その時々で考え方が変わるのですが、その変化を恐れることなく表明しているんです。たとえば、ある本では「そぎ落とせ」といっていたのに、別の本では「やっぱりそぎ落としすぎることはよくないことがわかった」といったように。

変化は当たり前なのですが、主張を変えることにはどこか恐れがあるもの。松浦さんの本から感じられる、変化を恐れない姿勢に影響を受けています。

今回の「ミチイロビト」の振り返り

杉山有希さん

1990年生まれ。都庁勤務後、株式会社CRAZYに転職。結婚後、2018年11月から長野県根羽村へ夫婦で移住。築130年の一棟貸古民家「まつや邸」を夫婦で運営しながら、移住コーディネーターなど幅広く活動中。今夏、第一子出産予定。

まつや邸HP 

About The Author

卯岡若菜
1987年生まれのフリーライター。大学中退後、フルタイムバイトを経て結婚、妊娠出産。2児の母となる。子育てをしながら働ける仕事を転々とし、ライターとしての仕事を開始。生き方・働き方に興味関心を寄せている。
Follow :

Leave A Reply

*
*
* (公開されません)

Column

More