ミチイロ

「人」と「食」に苦しんで、でも幸せにも恵まれた。これまでも、これからも。空さんは「楽しく生きていく」。

人は、親だけが育てるものではないのでしょう。成長するなかで、わたしたちは多くの人と出会い関わっていきます。その出会いの一つひとつが、「わたし」を育んできてくれたのかもしれません。

「わたし、対人運が最強なんです」。そう誇らしげに語ってくれた空さん。親との関係性、自分との向き合い方に時に悩み苦しみながらも、笑って過ごせる今があるのは「人との出会いのおかげ」だといいます。

仕事終わり、池袋で待ち合わせをしてお話をうかがいました。

空さんのミチイロ

空さんは、現在25歳。都内でデザイナーとして働いています。快活な印象のある気さくな女性で、初めて会ったときには、筆者の子どもを非常にかわいがってくれました。

空さん
お茶目にピースをキメてくれた空さん

そんな彼女が教えてくれたブログには、摂食障害の経験が書かれていました。事前に送ってもらったプロフィールに書かれていたのは、「現在も完治はしていませんが、周りの人に恵まれて楽しく生きています」という言葉。空さんの晴れやかな笑顔が思い浮かぶメッセージでした。

授業そっちのけで絵を描くのが好きな子どもだった

空さん
まずは乾杯から。(空さんはノンアル。ひとり飲む筆者)

──絵を描くことが好きだとうかがっていますが、それは子どもの頃からですか?

空さん(以下、空):そうです。とにかく絵ばかり描いていましたね。授業中でもお構いなしで、ノートの余白部分に落書きをしていました(笑)

高校の修学旅行ではグアムに行ったのですが、帰ってきたあとに思い出をマンガにして描いたんです。友達に見せたら好評でうれしかったですね。ちなみに、そのマンガを描いたのは古文のプリントの裏だったんですけど。当時、古文のプリントが大量に配られていたんですよね。

高校時代からはパソコンでも絵を描くようになり、ネット上で発信する楽しさも知りました。もともと中学時代からインターネットにハマっていたんです。掲示板とか、mixiとか、チャットとか。タイピングは遊びで覚えたタイプです。

──タイピング、わかります(笑)では、子どもの頃の将来の夢はマンガ家やイラストレーターなど、絵に関するものだったのでしょうか。

空:うーん、マンガ家には憧れたことがありましたけど、将来の夢として抱いたことはなかったですね。中学生の頃、母に「好きなことは必ずしも仕事にする必要はないんじゃない?」と言われて、「そうだな」と思って。それに、わたしが好きだったのはオリジナルよりも二次創作だったんです。そのことも、仕事として絵を選ばなかった理由のひとつかな。

ただ、大学受験をするときには美大も受けたんです。やっぱり絵を学んでみたい気持ちもあって。でも、本格的にデッサンを学んでいたわけではなかったため、落ちちゃいましたね。

家を出たはずの母が、時折ごはんを作りに帰ってくる。そんな家庭だった

──空さんが育った家庭について、お聞きしてもいいですか?

空:父と母、4つ上の兄の4人家族でした。ただ、うちはわたしが小学校2、3年生の頃に親が離婚しているんです。母が突然、家からいなくなってしまって。

──何も言わずに。

空:はい、何も言わずに。母は専業主婦だったのですが、バイタリティのある人なんです。だから、家事育児だけをしている状況に耐えられなかったんじゃないかな。徐々に外に目を向けるようになっていったのだと思います。父との間に何があったのかまではわからないんですが……。

──相当パニックやショックに陥ったのではないでしょうか。

空:それが、完全に音信不通になっちゃったわけではなかったんです。というのも、時折ごはんを作りに帰ってきていたんですよ。だから、事の次第を完全には理解しきれていない部分があったのかな、と。

空さん

──ご両親に、そのもやもやをぶつけることはなかった?

空:それが、なかったんですよ。どこかで何となく、「これは親が答えづらい疑問なんだろうな」ってことはわかっていたのかなと思います。ごはんを作りに来てくれていたのは中学生頃まで続いていました。その後、あまり会えない時期も経ているのですが、母に悪感情を抱くことはなくて、むしろマザコンなんですよ。

──家を出て行ってしまったことで、嫌いになろうとしてしまうこともなかった?

空:なかったですね。小学生の頃は、帰宅時にいたりいなかったりするためにさみしさを感じていたかもしれません。だけど、恨みのような気持ちは抱かなかったです。当時は父のことも大好きで。どちらにも悪感情は抱いていませんでした。

ただ、兄は父と反りが合わなかったんです。わたしが中一、兄が高一の頃に一度家を追い出されて、二度目、わたしが中二頃にまた追い出されて。そこからしばらく帰ってこなかったんです。わたしが大学1年生の頃に懲りずに帰ってきたんですけど。

──今、お兄さんは……?

空:今は、とてもいい兄なんですよ。というよりも、兄は良くも悪くも人に流されるところがあるので、当時の付き合いが良くなかったのかな。あと、父との相性も良くなかったんでしょう。「何でまた帰ってきたのかな」と思いましたし……。

今、お付き合いされている方が非常にいい方で、兄も落ち着いたみたいです。母と三人で旅行にも行ったんですよ。兄が運転手になってくれて。兄とも母とも今の関係性が1番いいなあと思っています。逆に父とは少し疎遠になっているんですけど……これはあとで話しますね。

ダイエットとリバウンドを繰り返し始めた中学生時代

空さん
料理を前に、写真を撮る空さん

──事前にいただいたプロフィールやブログに書かれていた摂食障害について、お話をお聞きしてもいいですか?

空:きっかけは中学2年生の頃に学校で受けた健康診断でした。わたしは昔から食べることが大好きで、かつ太りやすい体質なため、当時は肥満体型だったんです。「痩せなきゃヤバいよ」といった手紙を受け取りました。

──そんな通知がくるものなんですね。

空:健康を害す可能性があるレベルだったからなんだと思います。もともと小学生時代からぽっちゃり体型ではあったんですけどね。その手紙をもらったのが夏休み前だったため、夏休み中にダイエットをしようと決意しました。それが、「食べないダイエット」で。運動、嫌だったんですよ……。

──わかります、わかりますけど、それもそれで体を壊しそうです……。

空:そのときは大丈夫でした。むしろ、するする体重が減ったので、「やった!」と思いましたね。さっきお話したように、父は仕事、母は基本いない、兄も家出中だったため、わたしが食べていなくても気づかれなかったんです。だからこそ成し得てしまったダイエットでしたね。そこから、高校時代までは痩せたり太ったりを繰り返していました。

──高校ではどのようなタイプの子でしたか?

空:中学までは成績優秀だったんですが、高校で一切勉強をしなくなっちゃいました。第1志望校に落ちて私立の進学校に進んだんですが、怠けていたにも関わらずオール5を取れてしまい、やる気が削がれてしまったんです。

その後、あまりにも勉強をしなくなったため、どんどん成績も落ちていったんですが、焦りもしなかったですね。絵を描いたりインターネットで遊んだりしていました。

あと、この頃からうっすらですが、希死念慮もありました。なんでしょう、やっぱりどこか満たされない部分があるというか、ずっと自己肯定感が低いんです。生い立ちがどこまで影響しているのかはわからないんですけど。ただ、高校時代に付き合った女の子に「好きな人の悪口は聞きたくない」と言われてから、自分を卑下することを言うのはやめようと思うようになりました。

──そして、進学。勉強を追いやってしまった高校生活とのことでしたが、受験はどうなったのでしょう。

空:美大には落ちてしまったので、受かった映像系の学部のある大学に進みました。都内の大学で、ここで実家を出てひとり暮らしをするようになります。ときどき父が遊びに来ていました。

空さん

──先ほど、中高時代は痩せたり太ったりを繰り返していたと聞きましたが、大学入学後はどうだったのでしょうか。

空:大学では、モヤシと白滝にハマりました。わたし、ハマると同じ食材ばかりを食べ続ける傾向があるんですよ。

──モヤシと白滝。なんてヘルシーな。

空:ですよね。だから、また痩せて。ここで、いくつかの要素が重なったのが、摂食障害になった要因です。まず、この時のわたしには好きな人がいて、痩せたいなと思っていたこと。そして、痩せられた嬉しさが痩せる欲を強めたこと。さらに、ちょうど友達と再会する予定があり、それまでに痩せたいというモチベーションがあったこと。さらに、母からの誉め言葉でした。

──痩せたことに対して、褒められた?

空:はい。温泉に行ったときに、「かわいくなったね」と言われて。ただ、体重計の数値を見て「もう少しで50kgを切るね」とも言われたんです。おそらく、母には何の他意もなかったのだと思います。でも、わたしは「え、もっと痩せなきゃいけないの……?」と思ってしまいました。

──それで、痩せに拍車がかかってしまった。

空:かかりました。ただ、元は食べるのが好きなので、「食べない」から「食べて嘔吐する」に思考が変わっていきました。物事を突き詰めるのが好きな性格が影響して、吐くのがうまくなってしまって。消化されたら太ってしまうから、「吸収される前に吐かなきゃ」と思っていました。そして、大学4年生の夏頃に、とうとう入院することに。

──それは、自分から?

空:いえいえ、自分では異常にまったく気づいていませんでしたから。ただ、最後は歩くのもやっとだったので、本当に病気だったんだなと思います。入院に至ったのは、大学の先生のおかげです。適した病院を調べてくれて、半ば強制的に入院することになりました。そのとき、体重は35kgまで落ちていました。

──先生の英断だったんですね。

空:ありがたかったなと思います。入院中は、きれいな病室できちんとした食事が出されるので、食べることへの罪悪感が和らぎました。思えば長い間ひとりで食事をしてきたため、この「きれいな」と「きちんとした」が大きな要素だったのかなと思います。そして、この入院中は父との関係性を見つめなおす時間にもなりました。

周りに言われた「親を嫌いになってもいいんだよ」

空さん
──お父様とは、今は少し疎遠になっているといわれていましたよね。

空:はい。わたしが入院したあと、父との仲がこじれてしまって。わたしの私物を「片付けだから」といって勝手に捨ててしまったり、暴言を吐かれたり。夜、父から病室のわたしの元にLINEが大量に送られてくるんです。「おまえはダメだ」「おまえも兄もダメだ」といったことを延々と……。

その父の様子は、面会時のやり取りなどで看護師さんも見ていました。また、話を聞いて知ってくれている友達もいました。本当につらくて仕方がないのに、「お父さんはやさしいから」と言うわたしに、看護師さんが「空ちゃん、そうやってお父さんを庇わなくてもいいんだよ」と言ってくれたんです。「親のことを、嫌いだって思ってもいいんだよ」って。

──親のことを、嫌いでもいい。

空:友達も、「大丈夫だよ、嫌いでもいいんだよ。空はひとりじゃないよ」とたくさん励ましてくれました。周りの人に言ってもらえてはじめて、「ああ、嫌いって思ってもいいんだな」と思えるようになったんです。それまでは、「でも家賃や学費を払ってくれているし」といった気持ちがあったのも事実で。父を好きなのと、好きだったのと、好きでいたいのと、好きでいなくちゃいけないのと、さまざまな気持ちが混ざっていたのだと思います。

──経済的に自立するまでは、なかなか親を気持ちの面で切ることは難しいことだと思います。

空:そうなんですよね。あと、「兄がいない分、わたしだけは」と思っていたところもあったのだと思います。

──退院後、体調はどうでしょうか。

空:吐きたくなる気持ちが皆無になったわけではありません。摂食障害って、見た目ではなくて数字で痩せを判断するんです。だから、ひどいときには水も飲めなくなる。わたしも例外ではなかったのですが、インターネット上で知り合った友達から「体重計を捨てろ」と言われて捨ててしまってから、ちょっと解放されたかな。

──友達に恵まれているんですね。

空:対人運は本当に最強なんですよ……! リアル、ネット問わず、本当にいい人に出会えていると思っています。吐きたい欲求がありながらも、誰かと一緒に食べたものは吐きたくないと思えるようになりました。一緒に過ごした楽しい時間をなかったことにしたくない、と思って。

──入院はどの程度の期間だったのでしょうか。

空:3週間ほどです。その後は無事卒業し、就職しました。

空さん 料理
この日は、話しながらもしっかり食べた。空さんは「こういう日は絶対吐かないんです」と笑った

個としての自分の可能性も試していきたい

──今勤めている会社が、就職した会社ですか?

空:いえ、今の会社は2社目です。1社目は、経営が危なくなってきたなという段階で、一斉に転職活動に入るために辞めました。営業として入り、途中からデザイン部署に移ってデザインに携わるようになった会社でした。

──最初は営業だったんですね。

空:そうなんです。デザイン部署の10歳くらい年上の先輩が引っ張ってくれて。その先輩は、わたしの摂食障害にも気付いてくれて、吐かないように見張ってくれた人でした。飲み会のときなどにお手洗いに行くわたしを見ていて、「吐いてるでしょ」と言われたんです。

他の方もいい人ばかりで、倒産さえなければ辞めなかったと思います。

空さん

──そして、2社目の今。転職は大変でしたか?

空:新卒2年目だったために成長の可能性を見てもらえ、あまり苦労せず転職できました。ただ、今の職場ではあまりデザインの仕事がなくて、あまりにも暇で。入社1年が経ったんですが、このままだとデザイナーとして死んじゃうなと、転職を考えています。

──もっとデザインを極めたい?

空:とも限らなくて。転職先はデザイン関係じゃなくてもいいかなと思っているんです。わたし、裏方で人のために役立てることとか、人に関われることが好きなんです。たとえば、ツアーやイベントの企画とか。次はそういった仕事でもいいなあと思っています。

あとは、個としてももっと可能性を広げたいな、とか。ブロガーやイラストレーターとしての活動を並行してやってみたいなあとも思っています。

──発信されていた内容で拝見したのですが、「彼氏がほしい」についてはどうでしょうか。

空:これはですね……わかりやすい表現として「彼氏」を使っていますが、彼氏じゃなくてもいいんです。どこかで、自分を見てくれる唯一無二の「誰か」を求めているんですよね。友達には恵まれていて、それは本当にありがたいことなんですけど、友達にとってのわたしは大勢いるなかのひとりじゃないですか。そうじゃなくて、お互いに深いところから向き合って付き合い続けられる誰か。出会いたいなあと思っています。

空さん
仕事終わりに時間を作ってくれた空さん。またおいしいもの、食べにいきましょうね。

空さんの三原色

コンテンツや出来事など、今の空さんの元になる「三原色」を挙げてもらいました。

絵を描くこと

承認欲求を満たしてくれて、仕事にもつなげられた大切なものです。

インターネット上の人など、絵を描いていなかったら出会えなかった人たちがたくさんいます。絵がなければその人たちと遊んだり旅行したりすることもなかったんだろうな。

絵を描くこと自体はインドアな趣味ですが、そこから広がる世界は本当に広いものだと思っています。

人間関係

家族関係に影響を受けて歪んだ性格が、友達や先生との関係性のなかでよくなることがありました。性格を形成した環境要因としても大きいですし、わたしに多くの幸福をもたらしてくれたものでもあります。

あと、わたしの友達はかわいい子ばかりで、なかには賢くて運動もできてやさしくて料理もできて面倒見もいい……というパーフェクトな子もいます。こうした素敵な人たちに友達だと思ってもらえている「わたし」って、実はなかなかいいんじゃない? と思えています。虎の威を借りる狐理論ですね。

食べること

昔から食べることが好きでした。おいしいものとしてはもちろんですが、「食卓」という環境で「他人と時間を共有すること」が好きだったんです。

母は家を出てからもごはんだけは作りに来てくれていましたが、一緒に食事をとるのは外で会って外食をすることが大半でした。そういったことも、食に依存するひとつの要因だったのかもしれません。食べているときは幸せな気がして。

摂食障害を患ったのは、食べたあとに吐き切ることに対して、一種の達成感があったのも一因なのかもしれないな、と今になって思っています。

今回の「ミチイロビト」の振り返り

空さん

1994年生まれ。茨城県出身。大学から東京で一人暮らしを始め、現在は都内でデザイナーとして働く。中学生頃から体重の増減を繰り返し、大学4年生の夏頃に3週間程度入院。今も完治したわけではないが、友人に恵まれ楽しく生きている。絵を描くことが好き。

About The Author

卯岡若菜
1987年生まれのフリーライター。大学中退後、フルタイムバイトを経て結婚、妊娠出産。2児の母となる。子育てをしながら働ける仕事を転々とし、ライターとしての仕事を開始。生き方・働き方に興味関心を寄せている。
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