ミチイロ

作品への想いも、先天性の難病も、すべてをオープンに。思い切って始めた発信が、世界を広げた。ガラス作家・大河内愛美さん

約 17 分

子どもの頃の夢は、何でしたか? その夢は、叶いましたか?

小学6年生の頃に抱いた夢をひたむきに追いかけ続け、叶えた女性がいます。愛知県で活動するガラス作家、大河内愛美さん。グラスひとつができあがるまでに3日間、さらに納得のいく仕上がりにならなかったものは一切商品にしないという、ストイックな姿勢を持つ女性です。

最近は作品だけではなく、「大河内愛美」としての発信にも力を入れているのだといいます。その背景には、彼女が抱える難病、レックリングハウゼン病がありました。

大河内愛美さんのミチイロ

大河内愛美さんの作品

光を受けて輝く色とりどりのグラスたち。表面に描かれた模様は、まるで波紋のようで、はっと目を引かれます。

愛美さんのことを知ったのは、Twitterでした。投稿されている印象的なガラスに惹かれていたところ、2019年9月に東京・渋谷ヒカリエで行われた催事のために上京してくることを知ったのです。

催事のお休みの時間をいただき、愛美さんのこれまでとこれからについて、たっぷりお聞きしました。

高校生までは、自分の病気について何も知らなかった

──愛美さんが抱えている難病、レックリングハウゼン病という病名を、今回初めて耳にしました。インタビューでは病気のことも知ってほしいと伺っています。どのような病気なのか、お聞かせいただけますか。

愛美さん(以下、愛美):ありがとうございます。レックリングハウゼン病は先天性の病気で、遺伝と突然変異との両方があります。わたしは突然変異です。命にかかわる病気ではなく、日常生活も制限されない病気ではあるのですが、難病に指定されています。

主な症状は、“カフェオレ斑”と呼ばれるミルクコーヒー色の染みのようなものと、皮膚の一部が盛り上がったようになる神経線維種ができることです。神経線維種が増えるのは思春期以降のことらしいです。カフェオレ斑も神経線維種も、現れる部位、数ともに千差万別で、露出している部分に多くある方もいらっしゃいます。

「カメラを向けられると真顔になっちゃうんです」と愛美さん。自撮りで笑えないのが目下の悩みなのだとか。
「カメラを向けられると真顔になっちゃうんです」という愛美さんの笑顔。自撮りで笑えないのが目下の悩みなのだとか。

──カフェオレ斑があることで親御さんが心配されたといったことはあったのでしょうか。

愛美:それがそうでもなくて。わたし、自分のこの見た目が病気によるものなんだって知ったのが高校1年生の頃なんです。それも、親が病院に連れて行ったのではなく、自分から親に話して病院に行ったのがきっかけで。親から聞いたことがあった“カフェオレ斑”についてGoogleで調べてみたら、“レックリングハウゼン病”が出てきたんですよ。それで、「これだ」と思ったんですよね。

──病気がわかったときの親御さんの反応はどうだったのでしょうか。

愛美:「日常生活に支障があるわけじゃないみたいだし、気にしなくていいんじゃない」でした。

──時に子どもの病気が判明したら心配や不安に親が飲み込まれてしまうケースもあるかと思いますが、愛美さんの親御さんはさらりとしていたのですね。

愛美:どんとしているタイプなんです。特に母ですね。心配性ではないからこそ、生まれた頃からカフェオレ斑があるわたしを、そのまま受け入れていたのだと思います。

──赤ちゃんに見られるアザのようなものだろうな、とか。

愛美:はい、おそらく。

──高1で自分の体について調べてみようと思ったのは、なぜだったのでしょうか。

愛美:いじめが理由です。たぶん見た目が原因でのいじめだったのだと思うのですが、言葉で攻撃されるいじめを小学2年生から中学3年生まで繰り返し受けてきたんです。幼稚園時代も泥団子をひたすら作っているタイプで、本来社交性が強かったのかといわれると必ずしもそうだとはいえない子だったのですが、輪をかけて人が苦手になってしまいました。

──幼ければ幼いほど、見た目の違いを残酷についてくる部分もあったのでしょうか。

愛美:かもしれません。知られていない病気だからというのもあると思います。当時はわたし自身も病気だと知らなかったわけですが……。

暴言を吐いたり悪口を行ったりしてくるのは、主に男子。「きもい」とか「死ね」とか、あとは「バイオ」なんて言ってきた子もいましたね。ただ、どれもこれも抽象的な悪口だったので、「たぶんわたしの見た目のことを言っているのかな」という予測しかできなくて。いじめられる原因がずっとわからず、ようやく調べてみたのが高1だった、というわけです。

いじめてくる子は、学年が変わってもほぼ同じでした。中学校はふたつの小学校が合体するところだったのですが、3日目には他の小学校出身者からも悪口を言われて。先生が注意することもあるにはありましたが、いじめは止まらなかったですね。あと、傍観者が本当に多かった。だから、余計に人間不信になっちゃった。

──ご両親に相談したことは?

愛美:ないです。ただ、おそらく気付いてはいたんじゃないかなあ。泣いて家に帰ってきたこともありましたから。ただ、そのような状況でも、学校へは行っていました。

「ガラス作家になりたい!」小6で抱いた夢は、いつ何時も揺るがなかった

ケーキ
迷いに迷って、それぞれケーキをオーダー

──ガラス作家になりたいと思ったのは、いつ頃、どういったきっかけだったのでしょうか。

愛美:小学校6年生の頃です。きっかけは、当時大好きだったテレビ番組「TVチャンピオン」。ガラス工芸チャンピオンみたいな選手権だったと記憶しています。そこで初めてガラス作家さんという存在を知り、制作している様子を楽しそうだと感じたのが理由です。

──図工や美術が得意だった?

愛美:好きでしたね。親にも「なりたい!」と話していたため、中1で吹きガラス体験に連れていってもらったんです。

──ご両親、協力的ですね。

愛美:うーん、でも、本音は「1回やらせたら難しくて諦めるかもしれない」だったんじゃないかと思っています(笑)ただ、「そういう世界は大変だよ」と言われただけで、父にも母にも反対されたことはないですね。それは習いごとでも同じで、割と自由にやらせてもらってきたなと思っています。

──ちなみにご両親、お仕事は。

愛美:もとは父の実家の稼業に両親とも携わっていました。ただ、さまざまな事情から父の代で畳むことになり、親族の会社に転職し……といった経緯をたどっています。

──自営業の家系なんですね。愛美さんもフリーランスですし。

愛美:そういわれるとそうなんですよね。血筋ってあるんですかね(笑)

──中学時代、部活動には入っていましたか?

愛美:一応美術部に所属していましたが、全然活動していない部だったので、本当に一応、ですね。

──高校受験の志望校選びは、どのようにして決めましたか?

愛美:美術系高校もあったので、行きたい気持ちもあったんですが、進学したのは普通科です。ただただ偏差値に見合ったところを選びました。決め手はアーチェリー部があったことですね。やってみたいなあと。

普通科を選んだのは、親に「いきなり高校で絞っちゃうと、もう変更できなくなっちゃうから」と言われたことも理由のひとつです。やっぱり「いつか諦めるときがくる」と思っていたのかもしれません。

ごり押しで美術系の高校に行きたいと言わなかったのは、当時、あまり高校を重要視していなかったのもあるんです。

──と、いうのも?

愛美:「ガラス作家になりたい」と思った段階で、進路を調べたんです。そのときに、志望大学を決めてしまいまして。その大学にさえ行ける可能性がある高校なら……といった具合でした。

──その後、その大学には実際に行かれたんでしょうか。

愛美:はい、行きました。

──すごい。有言実行ですね。

周りの目が怖かった高校時代

──小中学校から人間関係ががらりと変わる高校生時代。病気について知ったのが高1だったとのことですが、高校時代の人間関係はいかがでしたか?

愛美:やっぱり人に心は開けなかったです……。ただ、ふたりだけ気さくに話せる友達ができました。あとはアーチェリー部の子たちですね。その他には、常に壁を自ら作っていたなと思います。

周りの目がひたすら怖かったんです。「わたしがこれをすることで、相手は何を思うんだろう」「変に思われるかもしれない」と思ってしまい、言いたいことを飲み込んで言えない。ただただ心のなかで考えてばかりでした。淡い恋愛感情を抱いても、秘めたままでしたね。

当時は、周りがわたしに抱いているイメージを守ることがとにかく重要だったんです。「あの子がこんなことしているのって、合わないよね」と思われるのが怖くて。ただ、アーチェリー部の子たちとは今も仲が良いほど親しくなれたのが嬉しいですね。

──結構ハードな部活でしたか?

愛美:運動部っぽくないというイメージで入ったんですが、予想以上にハードだったんですよ……。競技人口が少ないこともあり、インターハイ出場も狙いやすくて。わたしは良いところまでいけたのですが、出場は叶いませんでした。ただ、自分のなかではいい結果が残せたかなと思っています。

──そして、大学受験。すでに中学時代に心に決めた大学があったとのことですが。

愛美:はい。名古屋の芸大に進学しました。

アルバイトは朝5時から。がむしゃらに働き、ガラス制作に励んだ

──大学に入って、アルバイトなどはされましたか?

愛美:しました。1年生の頃は飲食店でバイトしていたんですが、2年生からは学校が忙しくなったため、時間帯的に難しくなってしまって、駅前のパン屋さんでの早朝バイトに変えました。朝5時から5時間程度働いて、そのまま電車に乗って大学に行く生活を送っていましたね。

──ハード……!

愛美:大学生にしては稼いでいた方なんじゃないかと思います。ただ、バイト代はガラス制作費に消えていましたが……。

愛美さん

──自分で買わなければならないものも多いのですか?

愛美:多いですね。最低限必要なものは大学にあるものを使えますが、追加でほしいものは自分で買うしかないので。

──大学に入られるまで、ガラス制作を体験したのは中1のときだけだったのですよね。抱いていたイメージと、本格的に制作を始めてみた実態とにギャップはありませんでしたか?

愛美:全然なかったです! むしろ、想像していたよりも楽しくて……。ただ、夏は本当に地獄のような暑さですよ(笑)冬は天国ですが。

ガラスのことも病気のことも、フルオープン。発信はフィルタリングにもなる

──人とかかわるのが怖いとおっしゃっていた愛美さんですが、今ではTwitterやInstagram、ご自身のブログにも、病気のことやガラス作家の活動のことをたくさん書かれています。転換期はいつ頃だったのでしょうか。

愛美:大学4年生になる直前の2月に参加したイベントがきっかけになるのかな。友達に誘われて、さまざまな仕事をしている人が集まるイベントに行ってみたんです。結局何のイベントだったのかはよくわからないままなんですが(笑)

会社経営者や個人事業主、ユニークな活動をしている方など、大学にいるだけでは出会えない大人と話せる機会を得ました。それが、とても新鮮で。広い世界を知らないことって、もったいないことだなと思いました。同時に、わたしも自分のガラスのことをお話して、興味を持ってもらえたりしたんです。

キングコングの西野亮廣さんの絵本“えんとつ町のプペル”のイベントが、そのイベントで知り合った方のプロデュースで行われることになって。そこで、その方に「トークライブで使うドリンクグラスに、わたしのグラスを使ってください……! ふつうのグラスより絶対おもしろいじゃないですか」と持ち掛けて、使ってもらったこともあります。恐れ知らずの大学生だったからこそ、ぐいぐいいけた部分もありますね。

ずっと出せなかった感情や意見を、この頃から出せるようになっていきました。今も言えないことはやっぱりありますが、大きく変わることができたと思っています。

──大学卒業後の進路は

愛美:就活はしませんでした。卒業後もガラス制作が続けられるところを探していましたね。選択肢は、大学院、専門学校、工芸館の3択なんです。わたしは瀬戸市新世紀工芸館に行くことにし、2年間制作活動に励みました。ガラス制作だけでは食べていけないので、アルバイトをしながらやり続けました。

そして、今年からフリーランスのガラス作家として、工房をお借りして活動を続けています。工房は毎週木曜日にしか借りられないので、残りの日はアルバイトをしたり、さまざまな活動をしたりしています。なかなか自分の工房を持つのは厳しいんです……。

俳優さんへの応援の気持ちが、自分の背中を強く押し続けている

小学生の頃の夢をひたむきに追い続けてきた愛美さん。そんな愛美さんの背を押し続けてくれているのは、ひとりの俳優さんです。

──事前に頂戴したプロフィールに、とある俳優さんがモチベーションアップにつながっていると書かれていました。お聞きしてもいいですか?

愛美:ファンになったのは中3の頃です。朝ドラに出ていて、一目でファンになりました。テスト期間中は、昼の再放送を見るために猛ダッシュで学校から帰ったこともあります。

高1、高2の頃にはファンクラブにも入っていて、握手会にも行って。高校生でお金も自由にならなかったので、それ以来イベントには行けていないのですが。いつかガラス作家になって、作品を見つけてもらえたら……と思っていました。ご縁があれば、作品をお渡しできたらいいなとも夢想していましたね。

ただ、これが実は叶っちゃいまして。

──えっ。お渡しできたんですか。

愛美:Instagramをフォローしていて、いいねをよく押していたんですが、自分のアカウントをガラス作家用にしようと決めたときに、コメントに応援のメッセージとともに活動内容についてちらりと書いたんです。すると、わたしのアカウントを見ていただけて、いいねを押してもらえたんです。

ガラス作品をお渡しできたのは、愛知県で行われた舞台でのことです。がんばるための糧にしようと思って、チケットを取りました。そこで、プレゼントとして作品をお渡ししようと思ったんですね。そこで、何と楽屋挨拶でお渡しできることになり、直接お渡しできたんです。

愛美さん

──そんなことが起こり得るんですね……!

愛美:わたしのなかでは、もっと未来で叶ったらいいなと思っていた願望だったので、家でも大騒ぎしてしまいました。親にもファンであることは知られているので、「念が強いね」と言われましたね(笑)

実は、ブログで難病について明かしたのは、このご挨拶できたことが背を押したからでもあるんです。作品について発信し、コメントをしたことがきっかけで、わたしは昔からの夢が叶った。自分から発信することで、何か変わることがあるんだと思ったんです。

──実際に、発信するようになって何か変化は感じていますか?

愛美:中傷など傷つくことも起こるのかなと思っていたんですが、今のところそういったことはなく、いいことの方が多いです。同じ病気を抱えている方や別の難病を抱えている方とも出会えました。レックリングハウゼン病って、患者数は約40,000人と割と多い難病なんです。だけど、知名度は低い。また、わたしが全然知らない難病の方もいて、周りに当事者の方がいないと知らないままになってしまうことって多いんだなと思ったんです。

レックリングハウゼン病は外見に出てしまう病気なので、知らないと白い目で見られてしまうこともあります。わたしも、病気のことを知らない方と仲良くなるのが平気かと聞かれると、やはり怖さがあるので。特に恋愛対象である男性に対して、どう思われるんだろうという怖さは付きまといます。

発信をしていくなかで、外に出たくない方や、病気だと言えないまま苦しんでいる方も多いことをあらためて知りました。そこで、作家活動という別の軸がある人間が発信していくのもいいんじゃないのかと思ったんです。病気だって、わたしの強みにできるんだなとも。

自己発信は、周りの人間関係のフィルタリングにもなっています。理解しようとしてくれる人しか残らなくなるので。

あとは、中学時代に同級生だった男の子から、Twitterで謝罪のようなDMが送られてきたことがあります。彼はいじめ加害者ではなかったのですが、傍観者であったことへの罪悪感があったのかもしれません。

文集にもガラス作家になりたいと書いていたので、夢を叶えたわたしを「すごいなと思った」といったことも合わせて書かれていました。彼とは当時会話したことすらなかったんですが、そんな間柄だったにもかかわらず、見つけて思い出してくれたことが少し嬉しかったですね。

──顔出し本名だと、多くの元同級生にも知られていそうですね。

愛美:全然気にしていません。むしろ、有名になって見返したいなと思っているくらいです。

B品は売らない。確実に届けられる「誰か」を少しずつでも増やせたら

──愛美さんのグラス、手の収まり具合や重さ、模様が手のひらに触れたときの手触りが気に入っています。B品は販売していないのですよね。

愛美さんグラス
筆者が自宅で使っている愛美さんのグラス。同じものはひとつもない1点ものだ

愛美:売らないです。これはポリシーですね。B品も、たぶん皆さんからすると何がB品なのかわからないレベルのものなんですよ。見てわかる傷や歪みがあるのではなく、満足する模様が出せなかったといった基準でのB品なので。それでも、納得いっていないものはお売りできない。ただ、捨てるのはもったいないので、実家がB品だらけになっています(笑)

──ひとつ作るまでに、どういった工程を経ているのでしょうか。

愛美:形を作るという意味での制作時間は20分程度なのですが、そこから冷まして加工して窯入れして……と最終的に3日間かかります。その前に、どのような色・柄にしようといったことにも時間を費やしているので、手間暇はものすごくかけていますね。でも、作る工程が1番楽しいんですよ。売るのがしんどいです。誰か代わりに売ってほしいくらいです……。

──いじわるな言い方になりますが、現在は100均など、安く買おうと思えば買える環境が整っている時代です。ものの価値について、愛美さんが思うところをお聞きしたいのですが。

愛美:ものを金額だけでしか見られない方は、やっぱり多いですよね。わたしも、催事中に「高っ」と言われてしまったことが何度もあります。ガラス制作の工程について説明したら、「え、じゃあこの値段でもそこまで元が取れなくないですか?」とわかってもらえることもあるので、ただ金額だけで判断する人はわたしが届けたいお客様ではないのでしょう。

特に、ガラスへの価値観のハードルって高いんだな、とひしひしと実感しているところです。同じ値段のアクセサリーならポンと買う人でも、ガラス製品には出さないことが多いんです。

──反対に、嬉しかった言葉はありますか?

愛美:ご年配の女性のお客様に、「最近夫が亡くなったんだけど、このグラスを使えば暮らしが鮮やかになるかもしれないと思ったので、買おうと思ったんです」と言われたことですね。

まさに、わたしが目指していることなんです。毎日水を飲むグラスは、飲めさえすれば何でもいいかもしれない。でも、わたしのグラスに変えてもらうことで、「何か違うな、いいな」と感じてもらえる。そんな、誰かの生活に彩りを添える作品を作りたいんです。

──これから目指したいこと、教えてください。

愛美:使ってみて良さを知ってもらいたいなという気持ちがあるので、レストランやバーとコラボして、わたしのガラスを使ってもらいたいです。気に入ってくれた方が購入に至ってくれたらなあ、と。あとは、全然異なるジャンルの方とガラスとをコラボできないかなあとも考えています。

ガラスに興味があって買ってくれる人も増えてほしいなと思うのですが、ガラスを知る窓口がわたしへの興味でもいいのかな、と思っていて。だから、これからも制作活動と共に発信にも力を入れていきたいです。催事のお知らせもSNSで告知しているので、見て来てもらえたら嬉しいな。

愛美さん
次回の催事は、10月の東京・有楽町。実物を手に取れる機会に、ぜひ。

大河内愛美さんの三原色

コンテンツや出来事など、今の大河内愛美さんの元になる「三原色」を挙げてもらいました。

TVチャンピオン

「ガラス作家」という仕事に出合わせてくれたテレビ番組です。あのときに番組を見ていなかったら、今のわたしはおそらくないでしょう。

SNS

Twitter、Instagram、Facebook。どれも利用しています。Instagramはもともと使っていたアカウントを、大学時代に作家活動用に切り替えました。Facebookは、フルオープンスタイルにしてから、少しフォロワーが減りました。ただわたしが意識しすぎていただけで、減った理由が自己開示だとは限らないんですが……。

発信に力を入れ始めてから、嬉しい出会いや応援メッセージが増えました。これからも続けていきたいですね。

某俳優さん

この方がいなければ夢を諦めていたかというと、決してそのようなことはないのですが、それでもやっぱり突き動かし続けてくれた存在です。

作家として名が知られるようになったタイミングで、何かのきっかけでお会いできたり作品をお渡しできたりしたらいいなあと思っていたので、予定が相当早まりました。

これからも応援していますし、わたしもわたしの道でがんばり続けたいです。

今回のミチイロビトの振り返り

大河内愛美さん

1994年、愛知県名古屋市出身。2017年に名古屋芸術大学を卒業後、瀬戸市新世紀工芸館研修生として2年間創作活動に励み、現在は工房レンタルにてフリーランスガラス作家として活動中。作家活動と合わせて、自身が抱える先天性の難病レックリングハウゼン病についても発信している。

東京出展のお知らせ:有楽町ルミネ「瀬戸ツクリテの手仕事」
10/12~10/14 11:00〜21:00
(※最終日のみ~19時)

催事に関する愛美さんのブログ記事はこちら

Twitter:@manamiokochi
Instagram:manamiokochi
Blog:しるし 大河内愛美オフィシャルブログ
Shop:ガラストクラス

About The Author

卯岡若菜
1987年生まれのフリーライター。大学中退後、フルタイムバイトを経て結婚、妊娠出産。2児の母となる。子育てをしながら働ける仕事を転々とし、ライターとしての仕事を開始。生き方・働き方に興味関心を寄せている。
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